鶴見俊輔さんの「永遠の感覚」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「鶴見俊輔さん」について投稿したいと思いました。

この方は、日本の哲学者です。なんと現在92歳だそうです。

私がこの方を記憶しているのは、「マンガ」が好きだと言う事からです。

「寄生獣」というマンガが好きで、最終巻が発行された時は、気をしき締めて買いに出かけたというエピソードを聞いた事があります。

 

面白い事はまだあります。

「ベ平連」という組織がありました。これはベトナム戦争時、日本で反戦活動として組織されたものです。

鶴見俊輔さんが、どうゆう訳か「反戦」活動をしようと思ったようです。

そこに「小田 実さん」を向かえます

小田 実さんは、昔「朝まで生テレビ」などによく出演されていた方です。

テレビ写りが「怖い」人です。

鶴見俊輔さんがテレビで語っていた事ですが、小田 実さんが非常に熱心であった為、やめるにやめられないし、胃が痛い(大変だった)と笑い話をしていた記憶があります。

本人にしてみたら、そんな本腰ではなかったのにと笑いながらの事でした。

 

さて、前置きが長くなりましたが、こんなユニークな感覚を持った方です。

動画がありましたので、ぜひご覧になって頂きたく紹介したいと思いました。

この動画の中で出てくる人物紹介に「ホワイトヘッド」という天才がおります。

当時の最大級の切れ者です。(世界を見ると言う事でです。)

   

 

前回、「ラッセル」のところでもご説明した部分が重なります。

私のブログを見て頂ける方にお伝えしたい部分がここにもあります。

 

「ホワイトヘッド」が説明を上げている点、これは「客観的な視点」から話される事です。

 

「客観的」な視点は、現実を自分で検証して、自分の行動の基点にする事ができる唯一の事柄です。

 

しかし、どうしても私達は社会に出てしまいますと、易々と集団行動と集団意識の中に埋没して、その場所で喜怒哀楽を感じてしまいます。

私は、その感覚も「客観視」できる人間でいたいのです。

故に、私は孤独であります。

しかし、現実を見ている気がしています。

鶴見俊輔さんが、「永遠」を語っていました。

「永遠」の中に「実存」があるのです。

 

「実存」が価値です。

 

社会に出て、多くを感じる所に「本質」という言葉がございます。

「本質的には」という言い方を多くの方がすると思います。

 

例えば「本質的には学歴が無いので、パソコン業務は無理である。」

 

しかし実存主義的に説明するなら、

「パソコンを触った事がないから、パソコン業務は無理である。」

 

私は、こんな簡単な理屈を説明しても理解して頂ける方はいません。

それは、「客観視」する事ができる人間が思ったほど見当たらないからです。

 

「本質主義」は理屈です。

「実存主義」は実践です。

 

「実践」に勝るものは無く、故に価値があります。

 

鶴見俊輔さんの動画の中で「死ぬ前の最後の一息にも価値がある」という、この所に価値たる実存があると思います。

 

私は、本当に子供の頃から心がむしり取られるほどに、多くの方々に突きつけられてきたのが、この「本質主義」です。

しかし、「本質主義」では価値が生まれません。

どうか、あなたの実存を見つめて欲しいのです。

あなた自身をご自愛された時、あなたは充足感に満たされて自分の価値から行動を促す事ができるでしょう。

 

永遠の感覚者であってください。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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