「縁起」と「空」について・・・お話し致します。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本来は「サイコサイバネティクスカテゴリー」にてお話ししたかった内容です。

ただ、内容が「サイコサイバネティクス」と離れている為、本日は「思想カテゴリー」と「サイコサイバネティクスカテゴリー」にまたがり投稿したいと思います。

 

まず「縁起」とは何であるかです。

 

これは「仏教用語」です。

白取春彦さん著の「仏教「超」入門」より、引用しながらお話ししたいと思います。

 

さて、画像が見ずらいのですが「マップ」らしき図である事は解るでしょう。

「Edraw MindMap」というソフトから引用させて頂きました。

 

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私達の世界には、このような「現象」が広がっています。

例えば、会社で「営業戦略」を行う場合、この「営業戦略」に関わる「部門」や「人間」があります。

 

様々な「線」は、結局は一点に集約されます。

一点に集約されて、「現象」として現れます。

 

この図では「営業戦略」が「現象」として現れています。

 

このような「関係」が「集約」して「現象」として現れる場合、これを「縁起」と呼びます。

 

 

言葉が難しくなってしまいましたが、「ガリガリ君」という「アイス」が生産させるまでには、様々な「きっかけ」や「行動」があって、店頭で販売される訳です。

そこには、上の図のような「縁起」の「線」の集約があって、「現象」として「ガリガリ君」が誕生したのです。

「ガリガリ君」は、「縁起」の中で生産された「アイス」なのです。

 

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https://www.youtube.com/watch?v=Nb050M732As より引用)

 

 

 

「縁起」の説明は以上です。

 

 

 

 

さて、「まとまる所」がない場合があります。

 

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さっきの「営業戦略」というのが抜けています。

いや、ないんです。

何でないかと言われても、ないんです。

 

このように「ない」事を「無」と言います。

 

「そんなの当たり前だ!」と思われるはずです。

しかし、「無」とは「無」という状態が「あること」なんです。

 

この「無」という場所に「縁起」という現象が発生した場合、「空」と言います。

先ほどの「営業戦略」が現れた場合です。

 

 

「空」は、まるで「無くなる」のように感じられますが、そうではありません。

「空」がなければ、まとまりが付かないのです。

 

「無」という状態に「縁起」によって「現象」が生まれます。

だから「現象」が発生する為には「無」という状態が必要なのです。

 

言ってしまえば、「現象」は「無」を土台として、実体としては「存在」していないが、現象として実体として存在している。

 

 

変な言い回しですが、これが「空」を説明する「般若心経」を理解する為には必要な知識です。

 

 

「般若心経の意味を、簡素すぎる内容で書いてみました。

http://mahakara.blogspot.jp/2015/10/blog-post_3.html

 

(般若心経の文面だけ見て、理解して頂くだけで結構です。以下の説明はややこしい。)

(ガリガリ君を当てはめると理解しやすいかもしれません。)

 

「色即是空 空即是色」

 

色を「肉体」として、肉体が様々な「現象」の結果としての「縁起」の集約として「無」の上に現れていて、つまりは「空」にあるのです。

逆に「空」はつまり、「肉体」と言う「現象」の集まりと言っても良いのです。

 

私達を構成する、様々な「縁起」の「線」が集まって「現象」として現れたのが、私達です。

図の中心部分を想像されると良いと思います。

ただし、この中心部分も「無」を土台としています。

だから「現象」として「ある」と「無」という「ない」が混在した地点。

そこが「空」です。

 

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そうしますと、人間に「魂」なんてあるの?と思いますよね。

だって「現象」が合わさった結果、私達が存在しているのですから。

それも「機械的」な「科学的」な感じでです。

 

その為、本来は仏教では「死後の世界」なんて存在を教えていません。

「縁起」と「空」を理解すれば、「魂」という存在を説明はできません。

(ガリガリ君の「魂」を説明できないと言う事です。)

 

説明ができないので「存在しない」という結果になります。

 

すると、ちまたで言われる仏教的な「魂」の扱いは何?と言われるかもしれません。

私にも良く解りません。

ただし、仏教的には「スピリチュアル的な思想」はありません。

 

どうでしたか。

仏教の根幹である「縁起」と「空」を会得されたと思います。

 

少しだけ話を長引かせますが、私が「サイコサイバネティクス」で「成功の体験」を重ねる事を勧めるのは、この「縁起」の数を増やす事にあります。

 

「成功」と「自信」は、決まった「ひとつ」ではありません。

様々な「形」があり「行動」があります。

 

その「縁起」を幾重にも張り巡らせて、「成功者」としての「空点」にある存在である事を望みまして、「成功システムの訓練」という投稿を行いました。

 

しかも、「成功体験」を「データベース化」する事で、些細な「言葉」を検索にかけて「成功体験」を呼び起こす事ができます。

 

つまり「縁起」を再確認する事が出来るのです。

同様のシステムが、ご自身の中に形成されて、いつでも感動を呼び覚まして味わう事が出来るのです。

 

私達が幾重の「線」が重なる「縁起」の中に存在している事を理解して頂けたと思います。

やっと「縁起」と「空」を投稿する事が出来ました。

 

どうか、この知識をご活用下さい。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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