「ホルスの目」は、心に仕舞い込まずに。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「神様カテゴリー」にて投稿します。

 

題名から、訳がわからない内容に発展しそうですが、これは想う所があるのです。  

「ホルス神」は、古代エジプトの神様です。

 

24490550380_089e1d3536_b photo credit: Temple of Horus at Edfu, 3rd - 1st cents. BCE (16) via photopin (license)

 

 

 

さて、「ホルス神」の話で「ホルスの目」は有名です。

「ホルス神」の父である「オシリス」の敵「セト」との戦いの中で、「ホルス神」の「左目」が取れてしまいました。

 

取れた後、世界のあちこちを周ります。

その為、この「左目」は世の中の様々な事を見るに至ります。

やがて「トート神」が保護して、「ホルス神」に戻してくれるのですが、その際に「世界の見聞」を理解した「左目」として戻されます。

この「左目」を「ウアジェトの目」と言います。

「全てを見通す知恵」を有して、さらに「トート神」が保護していたおかげで「癒し・修復・再生」の力も得る事ができました。

 

 

ちなみに「右目」は「ラーの目」と呼ばれます。

「太陽神ラー」の事です。

こちらが一般的かと思います。

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photo credit: Eye.jpg via photopin (license)

 

 

なぜ、この時期に「ホルス神」を投稿するかですが。

それは、前回に投稿した(上野の「古代ギリシャ展」)に展示されていたからです。

 

ブースの最後に登場するのですが、やはり「ホルス神」の存在に感動するのです。

 

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photo credit: Temple of Horus at Edfu, 3rd - 1st cents. BCE (31) via photopin (license)

 

だんだん「人間化」するのですが、私は展示されていた「鳥系」の「ホルス神」に感銘を受けました。

 

「ウアジェトの目」からも、まさに「智」を有する神である事を覚えました。

  

さて、これは私だけではない事だと思うのですが、私達は「心の智慧」や「心の知識」を何故か、心に仕舞い込むことが得意です。

 

体の表面に出すと言うよりは、「真理」を体の中に納めて「美徳」とする傾向がある事でしょう。

しかし、それが「美徳」であるのか、本当は違うかもしれません。

 

こうした心理を「美徳」と納めている限り、外界に対しての対応が限られた生き方になります。

私は、この傾向の最も大きな現象として「他者の事を想いやらない」事であると見ています。

 

たった、これだけの言葉です。

「他者の事を想いやる」

 

これだけで、「間違い」を犯しても放置せずに「連絡」するようになります。

つながりの薄い相手に対しても「手」を出す事が簡単になります。

間違いなく、戦争がなくなります。

自分が「ウアジェトの目」のように世の中を行き来して、自分の中に「癒し・修復・再生」の力も得る事ができるかも知れません。

 

日本人特有の「美徳」が「心」という崇高な世界に「美徳」として飾られる事は、それを見ている家族や関係者から見れば、幸いな事でしょう。

ただし、その場合には「人間」が外界に見当たらないのです。

 

どんなに「正しい」と信じる「美徳」の中に、実際には「ウアジェトの目」がないのです。

 

 

 

私は「虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)」のように、この世にあまねく一切の知識を有するかのごとく、知識を有する事が好きです。

 

 

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photo credit: Kokūzō Bosatsu 虚空蔵菩薩像 via photopin (license)

 

 

ただし、実際の所は「現実的」に有効活用していない知識ばかりです。

また、自分の都合の良い知識ばかりです。

 

同じ思考の中で、似たような知識ばかりを集めてしまいます。

その知識が「ウアジェトの目」ではなく、自分を守るための「他者からの目」を気にした「美徳」であるのです。

 

この「美徳」を神にあらがうように守ろうとするなら、「美徳」は有効でしょう。

しかし、「ウアジェトの目」を有するのであれば、体内にやどるエネルギーは黙ってられないのです。

 

それは、私達の「体内」から発せられるエネルギーであり、幾多の智彗です。

 

それが、心に収まる「美徳」から、世の中の現実を理解した「ウアジェトの目」になる時、それを知る時、大きな変革が見えてくるでしょう。

 

この投稿の題名である(「ホルスの目」は、心に仕舞い込まずに)は、こうした理由です。

 

「智の神」が「智」を使うなら、それはこの世界から生まれた万物に有効なものでしょう。

それを「美徳」として「心」に飾るなら、その答えを知っていても「変革」の行動がとれず、世の中の変革に「阿鼻叫喚」を唱えるだけでしょう。

 

その「阿鼻叫喚」はますます、その不満を解決する宗教を栄えさせるでしょう。

ただし、「ウアジェトの目」を有するのであれば、それはなくなるでしょう。

 

「ホルスの目」を「心」に「美徳」として飾るのではなく、体にエネルギーを渡して「ボディー」として扱うのです。

 

「智」とは、「美徳」の飾りではなく、「行動」です。

「行動」に「智」が付いているから、恐れないのです。

 

 

以上、「ホルス神」より影響を受けた事でした。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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