「国を信用してはいけない時代になった」 多くの人達は自覚をしていないが。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。

 

以前の日記カテゴリーで投稿した事ですが、世界が(イギリスを含めて)流れが変わってきています。

良く「占い」で言われる「水瓶座の時代」の到来と言いましょうか、精神の自由さを感じます。

 

01CLP11348

 

 

これは悪く言えば、「国を信じる国民性」という傾向が失われつつあるという事です。

(ちなみに私は水瓶座です。)

 

 

今、世界中で、どんなに治安が混沌とした状態であっても、何故か人間は現実ではなく「幻想の中」を彷徨っているように見えてしまいます。

 

だんだんと、その数は少数になってくる傾向にあるのかもしれません。

 

しかし、幻想の中を彷徨う(文化の中で、そのように生かされる)文化構造という存在があるとして、痛みを感じる人間が、どうして明日の出来事を機械的に認識する以外の方法を見いだせないでいるのか、これは私のテーマ問題のひとつです。

 

(もちろん、「お前はどうなんだ」と言われて結構です。)

 

ただ、多くの人達は口にしませんが、「国」を離れて、個人が感じる「痛み」を通じて、行動を始めています。

その人達は、その国家に住んではいますが、いつの間にか、「主権」を握ったような行動者になっています。

つまるところ、「国家」の「エネルギー体」である「民衆」が、国家よりも主権者であるという事態です。

 

「国を信用してはいけない時代になった」

 

大きな声で話す人は少ないと思いますが、すでに「国」を信用する人は減少傾向になる事でしょう。

 

さて、またこんなニュースを見ました。

 

 

「みんなで鍋をつつくって、本当にあるんだね」 ~1ミリでも進める子どもの貧困対策~」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20160701-00059361/

以下、参照させて頂きます。

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今日は鍋にしようと、大人たちが鍋料理をつくり、子どもたちと食べた。

高校生の女の子が「みんなで鍋をつつくって、本当にあるんだね」と言った。

彼女には、その経験がなかった。みんなで鍋をつつくというのは、テレビの中でだけ起こっているフィクションの世界の話だと思っていた。スーパーマンが空を飛ぶように。

 

大学生のボランティアに会った中3生が「大学生って、本当にいるんだね」と言った。簡単なクリスマスパーティをしたら「これって現実なのかなぁ」と驚いた。中3生でも「偏差値」という言葉を知らない。高校生でもテストで先生を呼び止めて「『氏名』ってなんて読むの?」と聞く。

「あたりまえ」の経験や知識が欠如してしまっている子どもたちが増えている。

この子たちが世の中を回すようになったとき、世の中はどうなるんだろうか。

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子供の生活環境が異常である感じを受けますが、私達が子供の頃を思い返しますと、確かにこうした環境の人はいましたし、逆に「大人」が異常でした。

担任の先生や部活動の先生。それは精神が尋常ではありませんでした。

 

ささやかに、小学校の「林間学校」の記憶です。

「山」に上りました。

まず「山」に上るのに、「水筒」の中に「水」を少ししか入れられませんでした。

 

「水分補給」が出来ないまま、何とか「山」の頂上についても、「水」がありません。

「お弁当」も「水」がなくて、食えたものではありません。

 

下山しようと行動を開始します。

先生の後に付いてゆきます。

なんと、先生が「山」で迷子になります。

また「山」を登り返し始めます。「水」がありません。

 

先生は「出口」等を他の登山者に聞く事もしません。

どのような連絡を、どのように取っていたのでしょうか。

とりあえず「歩道」に出たところ、「バス」に乗る事が出来ました。

命が助かった気がした時間でした。

 

私が子供の頃に体験した先生は、いずれも異常な方ばかりでした。

ですので、自分で生きなければならないと、常に感じていました。

それは、社会に出てからもそうです。

 

リストラか何か知りませんが、結構、他の会社で重要なポストに付いていた人に合う機会が何度かありましたが、やはり異常者でした。

とても、「お金を稼ぐ」という感覚者ではなく、「世の中の常識を行動する」という、視野の狭い人達でありました。

 

私が感じる事ですが、このような方々は「国家」があり、「社会」の中に学校や会社があり、そこで「制度」が確定されていて、その確定された「制度」の中では成績も優秀で、生命を全うできるのであると思うのです。

 

ただ、その「国家」とは、本来は変貌を続ける存在です。

その理由は、「国家」という制度は、「個人」という「パロール」の意味合いによって、変化する存在だからです。

(詳しくはラングとパロールを参照)

 

この「国家」の中では、様々なタイプの人間が活動を続けています。

本来は、そうあるべきです。

ところが、あまりにも「コピー人間」を作る事に頑張りすぎたため、「国家」が崩れています。

様々なタイプの人間が活動をする機会も、「異常なので止めなさい」と思わせる「文化傾向」を作った為です。

それが、私の大嫌いな尋常ではない先生や社会人達です。

 

その生徒が、今度は子供を持つ世代になるのですが、教育ができない。

教育が何であるかなんて、育て親で解らない方がいるでしょう。

だから、また過ちを犯して「塾」という機関に子供を押しこめます。

私は、そのような「手段的行動」が苦しくて、しかたありません。

 

大切なのは、「国家」を維持する事は勿論ですが、「個人」を保護する事です。

この「他者」を保護する活動をされている方々は輝いている事でしょう。

 

ただ、皮肉ですが、個人が個人として覚醒してきますと、現存の国家なんて信じれなくなる事でしょう。

口にはしませんが、「国を信用してはいけない時代になった」という事です。

 

いつでも、「国家」はたやすく残酷な決断を下します。

それは「生命」を守る為かもしれませんが、「生命」を守る為に、「生命」を削られる傾向が強くなるかもしれません。

 

この「国家」を形成するのは「個人」です。

だから、この「個人」が「超人」になるぐらいの「存在」を増やさないと、私は良くはないと思います。

その「叫び声」がイギリスで発生しました。

 

この時、「国を信用してはいけない時代になった」と言う事です。

 

決断はまず、「国家」の状況を感じる以前に、「自己の世界」を理解して発言する時代がリアルに出来てしまいました。

 

矛盾する話ですが、しかしながら「国家」を盾に生活しないとクリアできない問題ばかりあるのが現状です。

ただ、今までの歴史に見られる「国家の言う事は逆らえない」から、「自分が自分の都合で変えられる」という流れにシフトしています。

ただ、現状では、「国を信用してはいけない時代になった」という人は少ないでしょう。

 

いまだに「学習塾」が流行り、偏差値の高い学校に行けば未来があり、ステータスを築けるとする親の多い事。

鉄鋼王の「アンドリュー・カーネギー」から言わせれば、「人の立場に立って、人を指導できる人間」こそ、それだけで優秀であると言うでしょう。

 

「アンドリュー・カーネギー」が学歴もなく、鉄鋼王と呼ばれているが、鉄鋼の事は知りません。

鉄鋼の事を知っている人を雇ったのです。

そして、カーネギーの部下も学歴はありませんでした。

 

しかし、この「アンドリュー・カーネギー」帝国に、高学歴者がやってくるのです。

もちろん、学歴のない人に雇われるのです。

 

これはカーネギーだけのお話ではありません。

大変に必要な事は「人の立場に立って、人を指導できる人間」である事です。

 

これだけで政治家は民衆を動かします。

民衆は動かされてしまいます。

 

そこに学歴はないのです。

あるのは、その動かしている人という「個人」です。

他にはない「個人」です。

 

今の時代は、出来る限り多くの人達が「異なる他人の立場に立って、共に物事を共に考える」という時代に入っています。

それこそ、苛立つような文句ばかり溢れ出ている「国家」幻想主義から、本当の「水瓶座の時代」へのシフトです。

 

(たぶん) 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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