私が思う「天津祝詞」の意味と効果 ③

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

前回の続きで、「天津祝詞」について投稿しようと思います。

 

Dazaifu Tenmangu Shrine

photo credit: JoshBerglund19 via photopin cc

 

「天津祝詞」については抵抗のある方が多いとは思いますが、この投稿を契機に身に着けて頂けると幸いです。

 

はっきり申し上げます。日本人には、日本人の「マントラ(御真言)」があっています。

あなたに見えない「ご加護」が降り注ぎます。

(守護されているパートナーが解る気がしてきます。)

 

繰り返して唱えていると、あなたの中にある不自然な住人が退去してゆくでしょう。

あなた自身の中で、新しい視野が広がるかも知れません。

 

前回と前々回より、私のような偏った人間が、あえて「天津祝詞」を覚えようとして、それが間違えでなかった事を、毛嫌いしている方々には無いようにして頂きたいのです。

 

決して、一部の宗教に偏る物ではありません。国学的な客観物です。

 

私が「天津祝詞」を唱えるときのフレーズを示します。

 

(平田篤胤の著した元祖系に再掲示しました。若干、現代のものと違います。)

 

 

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たかあまはらにー かむずまります -

かむろぎ かむろみのみこと-もちて -

すめみおやかむ いざなぎのみこと 

つくしの ひむかの たちばなの おどの あわぎはらに -

みそぎはらひたまうときにあれませる はらえどのおおかみたち 

もろもろのまがことつみけがれを はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを -

あまつかみ くにつかみ やおよろづのかみたちともに -

あめのふちごまのみみふりたてて きこしめせと ー かしこみかしこみまおす -


 

「-」で示したところは、伸ばすところです。

 

この変は私のフィーリングですので、参考程度にして下さい。

 

 

【マメ知識】(参考文献「上代神都高千穂研究資」、「大祓講義 今泉定助」)

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●「高天原」は現在の(宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井)あたりになります。

●「かむずまります」は、集まるの意味。「高天原」を拠点とする神々の議会の場があった模様。

●「かむろぎ」と「かむろみのみこと」は「いざなぎのみこと」よりも古い皇祖神です。

●「すめみおやかむ」とは、天皇家の親祖神を意味します。

●「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」は現在の「宮崎県日南市大字宮浦鵜戸神宮」あたりです。

 

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File:Udo-jingu Shrine.jpg – Wikimedia Commons

 

●「みそぎはらひたまうときにあれませる」

 「みそぎ」を祓っている時にいらっしゃったの意味。生まれた訳ではない。

 

●祓戸の大神(はらえどのおおかみ)とは、四神おります。

 こちらの神様達は、「禊祓い」の際にいらしていた神様達です。

 

  瀬織津比売(せおりつひめ)・・・(大海原に持出します。)
    速開都比売(はやあきつひめ)・・・(持ちかか飲み込みます。)
    気吹戸主(いぶきどぬし・・・(根国底国に、気吹として放ちます。)
    速佐須良比売(はやさすらひめ)・・・(持ちさすらい失います。)

 

 みずから、「祓い」の力を持つ神様達です。

「はらえどのおおかみたち」と呼ばれるのは、この為です。

 

これは、自然界の「祓い」を意味していますが、同時に私達自身の中にもある事です。

人は呼吸をしますが、その呼吸は「宇宙」という万物につながるものです。

 

呼吸をすってエネルギーを人体に巡らす事を「瀬織津比売」とします。

その息を「腹」にためこむのが「速開都比売」です。

そして、体内の「祓い」を吹き出すのが「気吹戸主」であります。

その「祓い」が空間に消えてゆくのが「速佐須良比売」であります。

 

また、何故に「姫」が担当するかと言いますと、大昔から「大掃除」事は女性が担当していたからです。

 

●「もろもろのまがことつみけがれ」は、あくまで「心」の中の出来事です。

 

●「あまつかみ くにつかみ やおよろづのかみたち」

 

「天津神」とは、いわゆる天孫系の神達です。

「国津神」とは、いわゆる「大国主様」を含めます天孫系以外の神様達です。

「八百万の神様」とは、それ以外の様々な神様です。

 

「天津祝詞」系の正確な年代は解りませんが、「高天原(宮崎県の高千穂)」を拠点に、こうした神々が議会に集まっていたようです。

しかし、私には「日本全土」の神々であるのかは解りません。

天津祝詞に「つくしの ひむかの 」と書かれていますが、当時は九州一体を「筑紫(つくし)」と見ていたようなので、あくまで九州における神々だったのかもしれません。

これは、正確なところは解りません。

 

 

●「あめのふちごまのみみふりたてて きこしめせと」

 

「あめのふちごま」とは、神々の御乗用の馬です。

「あめのぶちごま」とも呼ばれる、「ブチ色」の馬の事です。

(実際は知りませんので、参考程度に馬の写真を載せました。)

 

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  photo credit: Eduardo Amorim via photopin cc

 

もともと「馬」が物音に敏感な動物で、少しの物音に耳をかたむけるようです。

 

故に、「あめのふちごまのみみふりたてて きこしめせと」とは、

「天にいる「ふちごま色」の馬が、耳ふり立てて察するように、聞き届けて下さい」という意味です。

 

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さて、私が解釈する訳を述べます。

 

 

高天原(宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井)に集合した神々たち。

皇祖神(「かむろぎ」と「かみろみ」の事)の神勅を受けまして

天皇家の祖神である「いざなぎのみこと」が

宮崎県日南市大字宮浦鵜戸神宮あたり(筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原)で

みそぎを祓っている時にいらっしゃった「祓戸の大神たち(四神います。)」

いろんな、まがいごとの「心」の罪や穢れを 

お祓い下さい、清めてくださいと懇願することを

「天津神」「国津神」「八百万の神様」と共々に

漏れる隙も無く聞き届けていただけるよう、どうか宜しくお願い致します。

 

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少しだけ、大切な部分を書いておきます。

「祓戸の大神」である四神の働きを、あなたの中で理解して下さい。

そして、「天津祝詞」を唱えるなら、「天津神」「国津神」「八百万の神様」が共々に、あなたの「穢れや罪事」を祓う協力をしてくれる事を想像して下さい。

こちらからも、聞き届けて頂けるように思って下さい。

 

「罪や穢れ」ですが、これが、あなたの「神性」を塞ぎます。

これを取って頂きましょう。

 

さて、人によっては、最後の一文である「あめのふちごまのみみふりたてて きこしめせと」は不要かもしれません。

 

その方が素直に感じる方は、この一文を省いても良いかもしれません。

私はただ、 平田篤胤の書き残した「天津祝詞」を大切にしたいので、この一文も含みました。

 

私がこれまで紹介しました「マントラ」や「ご真言」には、それぞれにあなたを活性化させる何かがあると思っています。

今回、投稿させて頂きました「天津祝詞」も同様です。

効果は、人それぞれに違いがあるでしょう。

 

私が今回、最後に言える事は、あなたの何かが変わると言う事です。

 

私は「天津祝詞」を嫌っていた時期がありました。その時期に覚える事は出来なかったでしょう。

その時期の自分を見ますと、現在ほど「他人」の事を考える人間ではありませんでした。

 

「競争」のようなフレーズに正しさを感じていました。

「客観的なマシーン」のような世界が正しい構造であるとも思っていました。

 

しかし、だんだんとです。

それは様々な「ご縁」から、「人に尽くす」事が大切な事であると解り始めます。

実はこれが「神」のような在り方と、つながる事でもある事を知ります。

 

私の場合、「平田 篤胤」を知り(いや、知らされて)「天津祝詞」を覚える切欠となります。

私の知るかぎり、「祝詞」と言いますと、一般的には関与されていない方々が多いはずです。

「祝詞」に関して書かれているサイトの多くは「開運」か「宗教的」なサイトも多いです。

私は、私のように何らかの理由で「祝詞」に「不信感」のある方々に知っていただきたく、投稿しました。

 

決して、特定の団体等に集約される物ではありません。

幕末思想の先駆けである国学者「平田 篤胤」が編集した「祝詞」の産物です。

 

本来は、あなたに身近なものです。

どうぞ、あなたの身近な場所に置くように、「天津祝詞」を扱って見て下さい。

そして、長らく口にする事で、感じる世界を正しい知識として下さい。

 

(最近、この投稿に目を向けてくれる方が増えています。私の投稿は、私の主観的な投稿ですので、あくまで参考程度にして頂けると有難いです。

そして、あまり深くは考えを巡らせてはおりません。

深い所へ陥ることなく、自然と声に出せる所を、私は良しとしたいのです。

 

天津祝詞について、追記した投稿があります。

宜しければ、ご覧ください。

http://mahakara.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html    

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。