こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「芸事カテゴリー」にて投稿したいと思います。
2日続けて音楽系の投稿です。
興味の無い人には、さぞ苦痛でしょう。
いや、それ以前にご覧になる事すらしないでしょう。
そんな投稿ですが、1970年にリリースしたディープパープル の「Child in Time」です。
「ディープパープル」と言いますと、必ず対比としての「レッドツェッペリン」が上げられますが、私は「ディープパープル」派です。
「ディープパープル」は、アニメで言うところの「ボトムズ」のようです。
ちなみに「レッドツェッペリン」は「ガンダム」です。
書いている事が意味不明に伝わるでしょうが、そんな感じなのです。
「ディープパープル」は「大衆受け」と言いましょうか、スーパーに陳列されていても不思議ではない音楽を感じるのです。
そんな「ディープパープル」の曲の中で、私のお気に入り曲に「Burn」があります。
「タマホーム」のCMで聞いた事があると思います。
1974年の曲ですが、ボーカルが「デイヴィッド・カヴァデール」に変更されています。
この「デイヴィッド・カヴァデール」の声が、まさにハードロックに合致します。
「デイヴィッド・カヴァデール」は「ホワイトスネイク」になり、「カヴァデール・ペイジ」など精力的に活動を重ねてゆきます。
個人的に、ディープパープル のボーカルは「デイヴィッド・カヴァデール」が合う気がします。
さて、何故にディープパープルの 「Child in Time」を投稿しようかと感じたかですが。
古い曲ですが、やはり聞いている限り「気迫」を感じます。
ギタリストは有名な「リッチー・ブラックモア」です。
前回に投稿した「イングヴェイ」が尊敬したギタリストです。
その「リッチー・ブラックモア」と対立するように「キーボード」が流れて聞こえてきます。
「キーボード」奏者が「ジョン・ロード」ですが、とにかく「リッチー・ブラックモア」と主導権争いをするかのような受け取り方が理解できます。
「ジョン・ロード」は「クラシック」のような事をしたかったのですが、「リッチー・ブラックモア」が「ロック」を前面に押したのです。
そしてボーカルの「イアン・ギラン」が、また光っています。
こうした作品は、このような強烈な凌ぎ合いの中で生まれる物です。
「おい、これ作っておいてね」なんて気持では、絶対に生まれないものです。
芸術作品にしろ、人間が作り出す永遠の価値を生み出すものとは、基本的に「真剣さ」が埋め込まれています。
これは「カント」が言っている事です。
その「真剣さ」は「遊び心」からは生まれるものではないのです。
強烈な「真剣さ」が、形として実体を残すのです。
その「真剣さ」を如実に残している、一曲のロックがディープパープル の「Child in Time」です。
この「真剣さ」は、失われる事がありません。
芸術作品として、時代を超えて残るものは、いずれも「真剣さ」を有しています。
だから、価値が薄れないのです。
芸術作品を見るとき、それに相対するとき、それをただ眺めるのではなくて、そこに「真剣さ」を感じます。
この「真剣さ」こそ、重要なポイントなのです。
生命が、そこに宿るのです。
芸術作品とは、こうした物なのです。
それは、「生」をしっかりと生きていないと獲得する事ができないものです。
芸術家の役割とは、こうした「物」を伝えることです。
それを受け取る人間は、その瞬間に「生」を獲得できるのです。
ディープパープル の「Child in Time」にも、そのエネルギーが十分に含まれていると感じるのです。
インスタントラーメンではない、本当の生麺仕様なのです。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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