建御名方神(たけみなかたのかみ)  最後の出雲が誇る剛腕

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「神様カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

前回、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」について少しだけ述べました。

この神は大国主様の子です。

 

頭脳派である「事代主命(ことしろぬしのみこと)」と違って、大変な「剛腕」の持ち主でした。

 

「事代主命(ことしろぬしのみこと)」とは、正反対の存在です。

 

さて、そんな「建御名方神(たけみなかたのかみ)」の前に、天照大神の軍勢である「建御雷之男神(たけみかなずちのおのかみ)」がやってきます。

 

すでに、大国主様と事代主命(ことしろぬしのみこと)は降伏を認めました。

残るは「建御名方神(たけみなかたのかみ)」だけになります。

 

しかし、簡単には降伏を致しません。

とにかく、粘れるだけ粘って食い下がります。

 

しかし、やはり「雷」の異名をとる「建御雷之男神(たけみかなずちのおのかみ)」には敵わず、とにかく逃亡を図ります。

 

そして、長野県の諏訪まで逃げ延びます。

   

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photo credit: 諏訪湖 via photopin (license)

 

諏訪湖の近くで、ついに追い詰められます。

 

そこで答えます。

 

「この地より他には行きません」

「葦原中国はすべて天照大神の子孫に献上いたします」

 

 

こうして「国譲り」交渉は決着して、ついに出雲帝国は天照軍に国を明け渡す事になります。

 

前回より、大国様や事代主命の事を「神」として書いていますが、これは実在したという事を感じて頂きたいのです。

 

日本にある「大黒様」や「恵比寿様」は仏教と習合した為に、こんな名称になっていますが、かつては国家を運営していた偉大な方々です。

 

私は、その方々の「ご真言」を唱えて「スーパーマン」になろうとは少しも考えていませんし、現実を超えたような「パワー」を得る事を推奨する事もありません。

ただ、当時の熱い生命のエネルギーを、今に感じるのです。

 

 

日本には「古事記」という書物の以前に「帝記」などの歴史書が残っていました。

それ故、「古事記」が一番古い書物という事はなく、日本には歴史がありました。

 

今となっては、過去の出来事を探る事は叶いませんが、大変に大きな事件があったという事は間違いありません。

 

大変な「剛腕」の持ち主であった「建御名方神(たけみなかたのかみ)」は、長野県の諏訪にて生活を送る事になります。

そして、長野県の諏訪大社に祭られることになるのです。

 

 

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photo credit: 諏訪大社 下社 秋宮 via photopin (license)

 

このような記事の中で、このような事を書くのも考えてしまうのですが、故人を想う気持ちは大切なのです。

前回、「早島正雄」さんの著書のより「武田鉄也」のお話しをしましたが、こうしたお話は別の書物でも見かけます。

すでにこの世には居られませんが、その故人を想い、故人と繫がる事で「エネルギー」を感じたり、自分を鼓舞する気持ちを獲得するのです。

 

人間の意志は90%以上、役には立ちません。

人間を突き動かしているものは「想像力」です。

この「想像力」が原動力となって、普段は意識をしない「無意識」と言いましょうか、その体を習慣づけて行動させています。

 

諏訪大社の写真をご覧になって、エネルギーを感じて感動する気持ちは、「意志」の力ではありません。

純粋な「想像力」がエネルギーになって、体を駆け巡っているのです。

 

故人を想うとは、これに似たものです。

故人と繫がるとは、これに似たものです。

 

だからこそ、それを受け止める個人である「自分」を確立している事がなりよりも大切なのです。

それは、「意志」の力で成せる事ではありません。

毎日の生活の中で「想像力」を自然に巡らせて、自己を確立する事が大切なのです。

 

難しい言葉ですが、実は簡単で、ただ感動する場面に気付く事なのです。

必ず、感動する出来事には「想像力」が大きく働いています。

 

「気付き」を多分に感じるようになり、故人を想う気持ち、故人と繫がる感じも理解出来るようになると思います。

 

それは胸が熱くなる出来事です。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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