こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「芸事カテゴリー」にて投稿したいと思います。
上野で「カラヴァッジオ」を体験してきました。
だからどうしたんだ!と言いたい題名ですが、久しぶりに絵画で感動を覚えてきました。
ちょいと時間つぶしで上野に出向く。
しかし上野はゴールデンウィーク中で人が沢山。
それでも果敢に「カラヴァッジオ」を見に行く。
何も、連休中に行く事もなかったのですが、こんな感じで行動していました。
しかし、「カラヴァッジオ」は良いですね。
入館してすぐに「女占い師」という絵画に遭遇。(いや、普通にありました。)
わたくし、この絵画が一番印象的でした。
File:The Fortune Teller1.jpg – Wikimedia Commons
ネットでは画像がくすんでしまいますが、実物は本当に圧巻です。
実は6月に入り、もう一度上野へ出かけました。
改めてこの絵画をまじまじと体験してきました。
左側の「女占い師」が、右側の男性がはめている「指輪」を何気なく盗もうとしているようなのですが、私は、そんな部分は見ていませんでした。
とにかく、絵画に人物が溢れていたからです。
しかし、改めて実物を見て来ますと、女性の「現在の立場と素養」を感じさせられました。
この絵画の中では見にくいのですが、女性の「指の爪」が黒ずんでいるのです。
そして、どちらかと言うと、しっかりした「指の爪」ではないのです。
逆に、男性の「指と爪」はしっかりしています。
明らかに、「生い立ち」や「生活感」に違いが現われていました。
おそらく、日常の女性の生活は、荒れている事が自然化したような日常なのかもしれない。
そんな気にさせられました。
その表情からも、それは伺えて、男性と比べて若干、品が悪いのです。
顔の「ほほ」がこけているんです。
だから、とっつきで「占い師」を装っている感じを受けますが、意外と男性も解っていて、それを楽しんでいるのかもしれません。
私はこの絵画のやり取りが好きなのですが、男性が「神」に見えてしまいます。
それは男性に「愛」があふれている様に見えてしまうからです。
だから、女性に「手」を差し出しているように感じてしまうのです。
「愛」がなければ出来ません。
その流れで、 まさに「バッカス」です。
感銘をうけた美しい絵画が「バッカス」でした。
photo credit: IMG_2600K Caravaggio. Michelangelo Merisi da Caravaggio dit Le Caravage. 1571 1610 . Rome. Naples. Bacchus. 1597. Florence. Galerie des Offices. via photopin (license)
またまた、ネットでは伝えきれませんが、「神の肌」が印象的でした。
もちろん、その他の「葡萄酒」の美しいのですが、その顔立ちも印象的で、つまり神なのです。
背景は「茶色」です。
ネットではその「美しさ」が見て取れないことが残念です。
「茶色」と言う事は 「土」でしょう。
そして「バッカス」の「指の爪」も汚れていました。
おそらく、「ブドウ」か、「土いじり」のせいでしょう。
「バッカス神」の顔立ちは仏像の顔立ちと似ています。
丸顔の団子っ鼻です。
「女占い師」の絵画もそうですが、「オーラ」が出ているのです。
だから、私などは、どうしても足を止めて見入ってしまいます。
それほど美しい作品で、力のある作品でした。
すごい作品でした。
あと、やはり「キリスト」をモチーフにした宗教画が多数出展されていました。
「エマオの晩餐」です。
photo credit: IMG_2600E Caravaggio. Michelangelo Merisi da Caravaggio dit Le Caravage. 1571 1610 . Rome. Le Souper à Emmaüs. The Supper at Emmaus 1606. Milan Pinacoteca Brera. via photopin (license)
人間である「キリスト」、いや神であるキリストの様々な表情が展示されていました。
こうした絵画を見るだけで、不思議と心が理解に満たされます。
神の子であるキリストは、人の子であり、人の表情は、そこに言葉を示すのです。
そこに実体を理解させるのです。
そんな感じで 「法悦のマグダラのマリア」や「ダヴィデとゴリアテ」 などが展示されていました。
私には「女占い師」と「バッカス」でお腹いっぱいですので、「法悦のマグダラのマリア」にはあまり興味がでませんでした。
「法悦のマグダラのマリア」には、すごく人だかりがありましたが、あれが良いのかなぁ。
ヌードのやつは良かったと思いますが。(いや、変な意味ではないです。)
キリストへの想いを、肉体からにじみ出る様に現していたと感じました。
こんな感じで「カラヴァッジオ」を体験してきたのですが、やはり本当の芸術作品にふれると、心と体が「浄化」されて気分が本当に良くなります。
本当に「浄化」されている感覚を理解できます。
絵画にパワーがあり続けて、五感を通じて「いやされる」のです。
6月ぐらいまで開催しているから、もう一回足を運びたい気分でいます。
(いや、行ってきました。)
五感を突き抜けるのパワーは強烈です。
例え絵画の世界であっても、そこに500年前の人物の有り様が見てとれます。
つまりですが、ただの絵画を見てきた!という感謝と感動ではありませんでした。
本当に感謝、感謝です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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