「考える葦」の「葦」は、ただ消滅する

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。

 

子供の「自殺」に関する「ニュース」を見る度に、心が悲しくなります。

http://www.sankei.com/affairs/news/160828/afr1608280018-n1.html

 

 

この「自殺」に関する投稿は、何度もしてきました。

 

問題は「ご両親」です。

次に「暴力」を振るう奴ら。

そして「先生」。

 

aa

 

 

「親」が考えている「正当性」を「子供」は引き継いでいます。

幼い頃より、「子供」が間違ったと感じる行動を見つければ、「体罰」を与えた事でしょう。

 

「子供」は少なからず、「世の中」の習慣を習った「親」の「正義感」や「正当性」や「習慣」を感じ取って生活しています。

 

やがて「自我」が明確になったとしても、「親」を理解しようとします。

それくらい、「親」の影響は強いはずです。

 

「子供」は「親」が朽ち果ててゆけば、それを「保護」しようと動き出すでしょう。

また、「親」が「愚痴ばかり」言っていても、それを「心」に全て受け止めるでしょう。

 

「子供」には「親」を保護しようとする「寛容」と「保養」が備わっています。

 

そうした精神状態は「暗い」「黒い」イメージです。

 

 

「子供」は気付いていませんが、少なくとも「親」の「言葉」を聞き取り、「態度」を見て、それが「合っていても」、「間違っていても」、「心」で「力」の「緊張」を保ったまま、下から持ち続けています。

 

bb

 

「子供」の「思考性」は、限定された存在に成長してゆきます。

その間に見るべき「世界」を体験する機会を失っているのです。

 

それでも「子供」は、「親」の事を「心」に留めます。

 

ただ、こうした事が「幻想」である事に気が付きません。

これは「仕掛けられた」と言わざるを得ない「文化の罠」です。

 

「文化の罠」は昔から「文化の中に存在」している「構造」かもしれません。

この「罠」の中では「非現実」が「現実」として感じられてしまいます。

 

「喜怒哀楽」が存在しているからです。

 

しかし、人間は年齢を重ねます。

やがて「子供」は大人になります。

 

その時、「親」の精神状態は「幻想」であった事に気付き始めます。

 

「子供」が「守ろうとした正義感」や「勇気」。

それは「親」の都合で教えられた「正義感」です。

 

そして自分の「自我」が「都合よく」、その「正義感」を使用し始めていました。

 

だから、「自殺」に向かわせる「子供」の「心」の言葉とは。

それは「彼や彼女自身」の言葉ではないのです。

 

 

だから、「考える葦」である「親」の「思考と精神世界」の影響下にある限り、その「子供」である「葦」は、ただ消滅するしか、道は見えなくなるのです。

 

01BK02001008

 

 

今回は、かなり「非人道的」な文章を書きました。

人間は誰でも、「絶対的に正しい存在」としての「在り方」を求めています。

 

この「在り方」を持っているから「現実に比較」をもたらして「悩む」のです。

本来、たとえ「親と子」であっても、「自我」は違うはずです。

 

だから「親」が「想像」する「我が子」など、存在しないはずです。

「子供」は、これに大変苦労を持って生活しています。

 

「子供」は「親」が現実を知らない事を知っています。

しかし「親」は「子供」が現実を理解していない事を知っています。

 

これが非常にバカらしい結末のはじまりです。

 

 

この最低の結末を防ぐには、「子供」に「世界」を見る機会を増やしてあげる事。

「子供」を「世界」に育てて頂く事。

 

01BK02001005

 

後始末は「親」が付けます。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

0 件のコメント :

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。