「マントラ」を唱える事の例え話

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「プチ神事カテゴリー」にて投稿します。

 

私は最近、やっと「本」を読めるようになったと感じています。

今までは「読み込む」という本は、あまり有りませんでいた。

「本」を読む事とは「体力」と「気力」であると思い込んでいました。

だから「苦行」であり、それを受け入れる事が正しいと認識していたのです。

 

そんな自分が「自発的」に「お寺」にご参拝したいと感じる時があります。

その欲求に従って「ご参拝」させて頂くのですが、私が「気が抜けた」ような「ボーッ」としている姿である為、それに「何だ、あいつは」という視線を感じる事が良くあります。

 

ただ、私は「リラックス」しているので「ボーッ」としているのです。

私は、それで良いと感じています。

この「リラックス」こそ、「お寺」で私が願う「執着をお祓いください」という態度です。

 

私は上手に「リラックス」を説明はできませんが、いわゆる「マントラ」を唱える先にある「境地」であると感じています。

 

 

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参照 https://www.youtube.com/watch?v=siaXN-UUxrM

 

 

「マントラ」を繰り返して念じる姿勢。

 

この「マントラ」とは「言葉」です。

「イメージ」ではありません。これは「言葉」です。

 

そして、人間の「言葉」を司る器官は「左脳」です。

この「左脳」が優位に働いていますと、私が読書にて苦しんだ「苦行」を行う事になります。

理由は「言葉」という「非イメージ的」な世界で「論理的な処理」しか行わないからです。

 

「体力」と「気力」が付きまとい、その「言葉」を追う事に限界を見てしまうのです。

 

私達が、自分の力で太刀打ちできない世界があります。

「潜在能力」の世界です。

 

この「潜在能力」を「左脳」的な「理屈」で解決しようとすると、必ず「法則」とか「規則」とか、もしくは「論理」といった話を持出し、やっと解決した気分になります。

 

しかし、「潜在能力」を「左脳」で解決する事は出来ません。

 

誰も人体の「体温」を自由に変更する事は出来ません。

「呼吸」もそうですし、「脈拍」も同じです。

 

そうであるならば、「左脳」の能力を「一時的」に「封鎖」してしまえば良いのです。

私達の「判断」を司る機関という所は、すぐに「データ」がいっぱいになります。

だから、人間は「3日で飽きる」傾向が出てきます。

 

「左脳」も同様に、「データ」がいっぱいになってしまえば、動きが悪くなります。

処理が出来ないからです。

 

この「処理」が出来ない状態を作り出すのが「マントラ」です。

 

「マントラ」という言葉を繰り返す事で、「左脳」の処理がいっぱいになります。

すると「右脳」の働きが目立つようになります。

 

「右脳」はイメージを司ります。

 

ここで「神様」などの「イメージ」を理解できる状態になります。

 

 

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私が「神様カテゴリー」で「マントラ」と「イメージ」を連結させて説明していたのは、この部分も相当します。

 

細かい説明は「また」と言うことで、基本的に「イメージ」という「想像の世界」に身を置ける事が、何よりも大切な事であると思っています。

 

よく、巷では「量子力学」を持ち出して「引き寄せの法則で夢を現実化」という説明を展開しています。

これには私も、ある程度は賛成です。

 

ただ、間違ってはいけないのが「それを得る為の人格がある」という人間でないと、「得る」という現象を得れないと言う事です。

 

この原則を説明していない書籍ばかり目立ちます。

 

いかに「言葉」を並べても、「論理」を展開しても、ダメなのです。(たぶん)

 

私達の「意識」と言うのは、「言葉」だけで支配できる物ではありません。

誰も人体の「体温」を自由に変更する事は出来ません。

「呼吸」もそうですし、「脈拍」も同じです。

 

ただ、その「潜在意識」を体感する事は出来ます。

「意識」に対して「意識」を向けると言う事です。

 

この場合「言葉」の論理では見出せません。

「イメージ」を「自由自在」に展開できる「心境」が必要です。

 

だから「マントラ」を繰り返す作業が、大切になるのです。

 

「左脳」を「マントラ」でいっぱいにする事で、動きを弱めます。

そうすると「右脳」優位の心境に立ちます。

 

本来の「脳的処理」は「右脳イメージ」を「左脳言語」に置き換えて行うものです。

「左脳」が有利である限り、言葉しか見いだせません。

 

この流れの中に、「見える光景」や「体感」に「神様」を見ている訳です。

 

 

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参照 https://www.youtube.com/watch?v=siaXN-UUxrM

 

 

 

その境地は「リラックス」です。

 

 

だから「気が抜けている」とか「ボーッ」としていると見られても、結構です。

これは私が感じている境地です。

 

「リラックス」の世界にたどり着き、「神様から言葉を頂いた」とか「神様と一体化した」などの体験は、かなり有るはずです。

 

この境地に至るには、「マントラ」のような作業が必要になります。

 

もちろん、「発声そのもの」が重要な「マントラ」でもありますが、本日は「こちら側」の説明を行いました。

 

また、「リラックス」は「マントラ」以外でも出来ますが、その話もまたの折に。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

 

次回は26日頃に投稿します。

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