ヘルベルト・マルクーゼ 「一次元的人間」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「ヘルベルト・マルクーゼ」という方の言葉で「一次元的人間」について投稿したいと思います。

この言葉「一次元的人間」ですが、簡単に言いますと、現実と理性が一緒になった人間の事です。

 それはどんな人間かと超簡単に要約しますと、「客観」と「個人」が合体した人間です。

何?と思われるでしょう。

それは、下の写真で言う現実と同化したあなたです。

 

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photo credit: Werner Kunz via photopin cc

 

私は、カントの投稿の中で、「主体」と「客体」を区別しました。

それは、「主体」を認識する事が大切であるからです。

「客体」という自然界、人間とは別の世界に切り離して扱う必要がありました。

 

万が一ですが、あなたが知らない間に、本来は無意識に扱っている「客体」の世界と同化していたら、恐怖を覚えませんか。

ヘルベルト・マルクーゼは、人間の精神が、ただ現実の維持のみだけに機能しているように見始めます。

確かに、それは起こっているでしょう。

解りやすく言いますと、あなたは自転車に乗ることがあるでしょうか。

自転車に乗っている時、あなたの体と自転車は一体になっています。

あなたは無意識に、自分の体と自転車を一体化させているのです。

あなたは、朝目覚めて、電車に乗って交差点を横切り、会社に出勤しているかもしれません。その日常という現実は、あなたと一体化しているでしょう。

あなたは、知らない間に、現実という「客体」と同一して行動しています。

そうすると、あなたの「主体」はどこにあるのでしょうか。

 

あなたの「主体」は、現在では現実と一体化する事を優先して置き去りにされてはいないでしょうか。

だとすれば、あなたの魂は実に不憫ではないでしょうか。

あなたの体が感じる「意識」、そして「理性」が、あなたを保護する役目を放棄して、ただ合理的な現代の流れに従う事を優先してしまう。

 

私が、ささやかですが、助けられたなと思う思想に「般若心経」があります。

これもブログ内で投稿しましたが、意味としては「この世の一切は、実は空である。」という事でした。人間が感じる一切も、人間が習得する知恵も、道徳も、教えも、実は架空のもので、実体ではない。それを知っている菩薩は過去、現在、未来において、救われているという教えです。

この教えによって、私の心は柔軟になっと思います。

その柔軟性は、視野にも現れました。

大勢が良いと思える事でも、平気で違うと思えるようになりました。

そうなると、「心」が救われます。

「心」が救われますと、現実に従い続ける自分と、現実を見て判断する自分が解るようになりました。

この現実世界にあって、「一次元的人間」として生きて、「主体」も気がつかないでなんとなく生きてゆくのも良いことかもしれません。

私もそのように生きていた時期がありました。

しかし、世の中の正義は決して正しくはない事もあります。

それが理解できるのが、あなたの「主体」です。

あなたの「主体」を封鎖してまで、この現実の「客体」とあなたを同化させないでください。あなたを滅ぼさせないで下さい。

現実的な世界が、あなたの理性になる恐怖を感じてください。

あなたは消えてしまうのですよ。

残っているのは、「一次元的人間」という客体のみです。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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