勝五郎について、簡素に投稿します。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回も日記にて投稿したいと思います。

何か面白くて、専門的でない事は無いかなと思いまして、本日は「勝五郎」について

投稿したいと思います。

 

「勝五郎」?と想われる方は多いと思います。

 

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、随想集の中でも紹介している方らしい。

私がこの勝五郎を知るきっかけになったのが、「平田篤胤」という方を知った事に始まります。あまり、一般的には有名な人ではありません。

 

しかし、「平田篤胤」の神社があるくらいの人物です。

この人は、幕末思想の元祖系の方です。

 

そんな「平田篤胤」が、「勝五郎」という人物について聞いた事を書き残しています。

「勝五郎」は、自分の前世を知っていた人物です。

この「勝五郎」については、(平田篤胤 勝五郎)と検索すれば、詳しく書かれたサイトがあります。

(また、手抜きをします。)

 

江戸時代の後半ですが、名前を「勝五郎」という、当時8歳の子が自分の前世を覚えており、それを自分の周囲に話しました。

やがて、自分の前世での家族と再会して・・・というストーリーです。

 

「超常現象」っぽい出来事は、当時からあった事がうかがえます。

この「超常現象」っぽいというのがミソで、「宗教」に意識を奪われるという現象では無いことです。

 

さて、「超常現象」カテゴリーなので、非現実的な話をします。

勝五郎は前世の記憶を持っていました。と言う事は、人の魂と言われる物は消えないと言うことです。

魂というよりも、その体が滅んでいないと言うことです。

体が滅んでも、体が残っているから、勝五郎は前世の記憶を保ったまま現世に生まれ出たとすると、その体とは何であるのでしょう。

 

こうした、霊的な体を「アストラル体」と呼びます。

これは、私的な方法でご説明しますので、つっこみは勘弁です。

 

よく、「肩の力をぬいて、リラックスして」と言われた事はありませんか。

スポーツなどを行うときは、よく言われる言葉です。

でも、実際は肩の力をぬいてはいないんですよね。

 

例えばです。あなたが、とんでもなく窮地に立たされ、追い込まれて、どうしようもない絶望が、心に襲ったとします。

その時です。あなたはどのような状態になりますか。

 

肩のあたりから心臓(心)のあたりに「気」が、ズシーンと落ち込むような感覚をした事がありませんか。

 

私的に言うならば、これが「肩から力がぬける」です。

言い換えれば、「アストラル体」が縮むような感覚です。

 

私達の肉体には、別の体「アストラル体」がびっしりと張り付いています。

だから、普段は感じないのです。

しかし、とんでもない「ショック」を経験した時、何となく理解できると思いますが、気が抜けますよね。心に重さを感じて肩から力が抜けますよね。

通常の状態と違いますよね。

 

アストラル体は、肉体ではありますが、霊界用の肉体ですので、普段は感じなくて当然ですが、「肩から力がぬける」、そんな時は「アストラル体」を感じてみてください。

 

もう1つ言える「アストラル体」感じ方は、「ヨガ」のようなポーズを微動せずに保つ事です。禅でも言いと思います。

つまり、体に緊張状態を継続できる環境を作る事です。

一番手っ取り早いのが、布団の上に仰向けになって、全身を微動させない事です。

意識は、保つようにします。

とにかく、同じ体勢で張状態を継続して保つ事が大切です。

さらに道具を使うなら、私はですが、英語版のヘミシンクを使います。

 

こうしたアストラル体の中に「魂」はあり、勝五郎は前世の記憶を保って生まれたと思います。

 

どうか、死んだら「終わり」と思わないでほしいです。

その考えは科学的です。

大哲学者、ウィトゲンシュタインは「語り得るものしか語ることができない」と言っています。

科学は死後の世界を語れないのだから、死後の世界は無いなんて言わないでほしい。

 

かと言いましても、死後の世界に深く考えを巡らす必要もありません。

普段の生活が最重要でして、死んだ後で解る世界です。今は知る必要がありません。

 

勝五郎を簡素に取り上げましたが、こうした体験は大昔からある事です。そして、別に宗教というものではありません。

こうした世界がある?程度に思って頂けたら幸いだと思います。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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