人を生かす環境が大切です。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回も日記にて投稿したいと思います。

ずっと仕事の事で体も心も囚われていまして、なかなか投稿ができません。

本日は、そんな私の仕事上でのある出来事を投稿しようと思います。

 

題名どうりですが、私は人間を大切にしたいと思います。

私の部署に、他部署では煙たがれている方がやってきました。

 

この方の評判は大変悪く、あちこちから注意するように言われていました。

業務上に悪影響がでる事を、少なからず考えました。

 

初めて、その方が私の部署にきた時には、やはり「とがっている」と言いましょうか、自己を貫いて、我れ関せずと言った感じを受けました。

 

私も「イラッ」ときましたが、我慢しました。

すると、相手側も我慢して、こちらを理解したのでしょうか。

会話が出来るところに来ました。

私のブログで「文化の構造(前回の続き 文化の違いとは何かです。) 」という所で書いた事ですが、私は人間のもっている文化水準に違いはないと思っています。

私が、その方に用意した環境は、その方が描いている安全な環境でした。

 

これまで、この方が所属していた部署は、普通に一般的な規則的な人間がいて、実は世の中を知らないような方達がいるような環境でした。

私の部署に来た方は、以前に別の会社に勤めていた経験があり、その方から見たら、とても息苦しい環境だったと思います。

私の部署は他者から見れば、いい加減意に写るかも知れませんが、私は計算して運営しているつもりです。

例えば、「マズローの欲求5段階説という投稿も行っていますが、人が生きないと、仕事にならないことを知っています。

人を生かす為には、どうしたら良いのか。

私も、初めは「知識」に走って、本を読みあさり、「ルール」を重んじました。本屋の本が正しいと思っていたからです。

しかし、それでは「能率」が上がらないことに気が付きました。

「ルール」や「規則」に、作業者が付いてこれない、理解できない、解らないのです。

作業者が理解できる環境は、作業者にしか解りません。

現場は現場の人間に、第一に任せる事が大切である事を知りました。

 

その方たちの「能力」は、決して劣るものではないのです。そして、横から「口」をはさんで、正しいと教え込むような態度が、悪だと知ったのです。

 

私は、職場では第一に、そこで働く方々の安全が確保されているかを大切にします。

安全と言うのは、命を預けられる環境です。自由であるかという環境です。

 

故に、どうしても備品はちらばり、職場が乱れているように見えてしまいますが、

私の部署へやってきた、新しい方の評価は高いものになっています。

 

人が嫌がる仕事を行い、朝はやく会社に来ては「草むしり」、掃除を行い、無理しているとは見えますが、仕事だからとやってくれます。

 

こんな動きが出来るのは、私の部署に配属されたからです。

以前の部署では、「草むしり」、掃除なんて事が、勝手な行動?と思われていたのか、出来なかったようです。

 

私は、今となっては、こうした自由を奪う規則やルールが嫌いです。

 

しかし、「利益」という知識を第一と考える方の多くが、こうした「草むしり」をする人を理解できないのでしょう。

その他ですが、「洗車」をしたいが出来ない、時間がもったいないと怒られるという人もいました。

 

私は思うのです。「大善」を行うためには、「善」と「悪」を両方とも理解する事が必要であると。

 

「善」と「悪」の定義は難しいですが、まずが辛抱強く我慢して、その方の安全を見極めて、その方の自由を確保するように努めます。

 

これは、私が体験して出て来た言葉です。

今後、誰でもそうですが、その先の運命はどうなるか解りません。

私が生きて、そのような立場にある限りは、人を生かす環境を第一に考えていくつもりでいます。

私の学習した哲学、経験した人の生き様が、役に立つように。

「良く生きる為に必要な事」を考えます。

 

今回は以上にしたいと思います。


最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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