般若心経について 2


こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は、以前ずっと以前に投稿しました「般若心経」について再投稿したいと思います。

何でいまさら?という事ですが、前回の投稿はブログを始めた頃で、言いたい事が言えていない気がしました。

読み返してみると「ウーン?」と思う所がしばしばありました。
 
「般若心経」は別に難しい事が書かれている訳ではありません。


 
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photo credit: *brilho-de-conta via photopin cc



この世にあるすべての物は「空」から出来ている。あなたの「五感」もです。あなたか「感じる事」も、「思う事」もです。「空」では死ぬことも老いというものもない。苦しみも本来はないし、「徳」もない。過去から現在、そして未来の有識者はこの事を知っているから、苦しみがない。だから、この「般若心経」を尊ぼう。



かなり、砕けた訳ですが、おおよそ、こんな感じです。(突っ込みは勘弁です。)

これは私が知る限りですが、大昔に「空」の存在をしっていたようです。

しかし、一般の人にこれを教えても、なかなか理解してくれなかったようです。

苫米地英人氏の本を読んだ事があります。脳科学の方なのですが、こうした方々の本を読みますと、「般若心経」を科学的に捕らえる事ができます。



どうゆう事かといいますと、脳科学の世界では、この世に感じる出来事は、すべて「脳」が作り出している幻想になると言うことなのです。



すると、現実の世界の出来事は「空」である事になります。

視点を変えます。

あなたは「形」について深く考えた事はありますか?

例えば、冬の積もった雪の中に、あなたは寝転びます。すると、あなたの形が雪の中に残るでしょう。



そこに残っている「形」とは何なのでしょう。その「形」はあなた自身ではありません。この世にある「形」とは、必ず、「質量」が必要になります。



「質量」とは「物」の事です。「形」は「質量」と結びついて、初めて「物体」になります。では、「質量」もなく、「形」だけの存在は、この世にあるのでしょうか。
アリストテレス的に言いますと、無いようです。



「空」の世界には、「形」すら無いようです。



この宇宙は、どこから誕生しているか。この宇宙の根源はなんであるか。
それは「空」になります。
あらゆるベースが、「空」から出来上がっています。



しかし、この「空」を不安視する事はありません。
この「空」が作り出す世界が、現実なのです。



「空」より、「形」と「質量」が結びついた存在(物体)が出来上がります。
「空」なくして、存在はあり得なくなります。

そして、「空」が実体であるなら、「般若心経」が教えているように、あなたの「五感」や「意識」は、本来はあって無いものです。「あって無い」とは今のあなたの状態です。それは消えることも無く、あるということが無い。

一生懸命に社会的な立場を築こう、名誉が大切だ、ブランド志向だ、学歴社会だ、と取り込まれても、それらの実体は「空」であり、ただ「形」を保とうとしているだけです。故に、いずれは「空」になります。

どんなに尊い経験をしても、徳を積んでも、「空」が実体です。



苦しさも、辛さも、喜びも、「空」が実体です。

だから、いちいち感情に支配される必要は無いことになります。

なぜなら、「空」が実体だからです。



「般若心経」の教えは、こうした事実を伝えている物です。

世の中の実体とは何であるか。これを知っている人と知らない人では、生活スタイルが変わってくるでしょう。

最大の特徴は、「執着心」が消えてくることです。

「執着」する必要がないからです。



「般若心経」は簡単です。決して、難しい解釈は必要ありません。ただ、この世界の実体は「空」である事を語っているだけです。

「空」は「無い」ものですが、これがなと「実体」が見えません。しかも、見えている「実体」に縛られる必要がない事を教えてくれます。

なぜなら、「空」だからです。



私が書いている事だけの事実で問題はないと思います。
変に、本屋で本を買って追求するものではありません。

故に、簡単にして最強と言われる所以でしょう。
世の中には、色々な思想がありますが、どうぞ、この紀元前の思想に触れてみてください。

今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。