府中の「坪宮」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

週に1回程度の投稿になっていますが、切らさないように投稿しようと励んでいます。

 さて、今回は府中にある 「坪宮」について投稿したいと思います。

こちらは、 府中にある大国魂神社の摂社になります。

しかし、大国魂神社からはなれた場所にあります。駅からでると解りますが、反対方向の場所にあります。

 

(駅の画像より、右に行くと、大国魂神社。左に行くと、「坪宮」方面です。)

 

IMG_0525

 

そのまま坂を下りてゆきます。

IMG_0526

 

一般道路を歩きます。実際には、画面の右側の道路です。

 

IMG_0527

 

この電柱の手前に右折する道があります。そちらに「坪宮」が御座います。

 

IMG_0233

 

さて、「坪宮」を投稿しようとした動機ですが、もうこれは、「坪宮」だからです。

それは、縄文時代になるのでしょうか。日本には様々な部族がいた事でしょう。

その部族の中に「津保化族(ツボケ族)」という部族がありました。

かなり古い部族です。「ツボケ族」で検索されると、色々と解ります。

特に、あの「アラハバキ神」との関わりも強い。

「津保化族」イコール「坪宮」として残っている気が致します。

 

関東という土地は、出雲や東北から、そして朝鮮からも人々が往来していたのでしょう。

関東の土着の民とは、正確にはわかりません。私の住んでいる場所から四方という言い方で良いのか、例えば「高麗」、「荒のつく地名」、府中であるなら「津保化族」などを連想される場所でしょうか。ありますね。

 

さて、「坪宮」ですが、御祭神は「兄多毛比命(エタモヒノミコト)」。武蔵の国造と言われている方です。出雲出身らしい。

出雲出身の「兄多毛比命(エタモヒノミコト)」が、おそらくはこの土地に息づいていた「ツボケ族」と協力したのか、同一したのか、支配したのかは解りませんが、とにかく御祭神として祭られている。

故に、興味深いのです。一体、何があったのでしょうか。「アラハバキ神」はどこへ行ったのでしょうか。(いや、いたのだろうか。)

 

ただ、この神社に行けば解りますが、格式が大変高いと言うことを感じます。それは「気」ですが、圧倒されるものを感じました。ふざけた事は出来ません。

故に、もはや私事など、どうでも良い。まずはご参拝させて頂ける機会があった事に感謝。次に、この関東の地を開墾なさって頂いた事に感謝。

 

今となって思う事ですが、興味本位で参拝する所ではないような気がしました。(いや、どこでもそうだろうけど・・・)。

 

ただ、私のブログ内のどこかで書いた事ですが、自分の地元に別の方々が入植?ではないでけれど、子供の頃からしたら、ずいぶんと増えました。

変な事ですが、私の家のすぐ近くに神社があるのですが、お祭りに参加した事が御座いません。会費は取られますが、誰が神輿を担いでいるか、誰にお菓子が配られているのか、よく解りません。

正月になると参拝している人の顔がまったく解りません。

変な話ですが、地元の方が参拝しているのか解りません。

 

知らない間に文化を取られると言うのか、その苦痛は経験しないと解らない事ですが、私は少しは解るつもりでいます。

故に、例えばですが、軽々しく「朝鮮批判」は出来ません。人々からしたら、土地に進入され、文化を犯された苦悩は、簡単には消えないでしょう。それが、日本側から見て良いと思ってもです。

 

私の魂の中に、こうした被支配の痛みがあります。人の歴史は、これを繰り返しています。きっと、当時の「兄多毛比命(エタモヒノミコト)」が、武蔵にやってきた頃も同様の事があったのでしょう。

しかし、「津保化族(ツボケ族)」の魂を消すことなく、その呼び名「ツボ」が「坪」として残り、「坪宮」として現代まで残っているのだと勝手に思っています。

故に私はですが、同調したいのです。「兄多毛比命(エタモヒノミコト)」の気持や、当時の様々な夢や希望、苦悩を背負って未来を見つめいてる、そして現代にまで息づいている、その場所にて手を合わせたいのです。

 

単純に、神社を設けた場所には感じません。故に、たまたまですが、このブログをご覧になって興味を感じて頂いた方でしたら、きっとご縁があるかもしれません。

その息吹、魂に触れてみたいと感じるのであれば、あなたの魂の中に引き付けるご縁があるのかもしれません。

 

 

ささやかですが、本日も何かの気晴らしになれたでしょうか。

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。