こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「芸事カテゴリー」にて投稿したいと思います。
(注意! もしも、この曲で生活に不具合を感じる事がありましたら、無理をせずに控えてください。決して良いエネルギーとは言えません。)
シネイド・オコナーという方がおります。
1966年12月8日に「アイルランド」で生まれたミュージシャンです。
個人的には「シンニード」という名前が強い方です。
photo credit: Sinéad O'Connor Nothing Compares 2 U video via photopin (license)
さて、この方はかなりの実存主義者です。
まず、生い立ちが凄まじいのです。
http://strongerthanparadise.blog122.fc2.com/blog-entry-236.html
(参考ブログ)
両親が「シネイド」8歳の時に離別しました。母親側に引き取られから13歳になるまで、虐待の日々を過ごします。
その惨状が酷いのです。
殴る蹴るは当たり前。食事は抜き。執拗な精神と情緒を奪い続ける嫌がらせ。泥棒をしないと怒られる。学校も卒業できない。
ただ、あまりにヤバイと思って、父親に引き取られる事になるようですが、あくまで「逃げる」という事でなく、母親と「シネイド」の今後を考えて、離別したようです。
その後、結局は非行は収まらなかったようです。
その後、「ローマ・カトリック」更生施設である「マグダレン修道院」に行ったようです。
ただ、この更生施設が悪い場所であったようです。労働は酷く、暴力はもちろん、性的虐待も行われるような場所であったそうです。
この「虐待行為」という「ローマ・カトリック」の在り方に怒りを覚えます。
後に、これが大きな問題を引き起こします。
やがて、ミュージシャンとして成功し始めます。
そんな折、1992年10月3日に、アメリカの「サタデーナイト・ライブ」という番組で、突然「ローマ教皇」の写真をビリビリと破り始めるのです。
さすがに「マズイ」訳です。
「シネイド」は「ローマ・カトリック」が嫌いでした。
その衝動がついに正直に現れるのです。
その2週間後に「マジソン・スクエア・ガーデン」で「ボブ・ディラン30周年ライブ」が行われました。
「シネイド」も出席しましたが、とんでもないブーイングを受けます。
このシーンは本当に有名です。
そんな「シネイド」が、その2年後に出したアルバム曲に「Universal Mother」という曲があります。
そのアルバムの中の1曲目が「Fire On Babylon( ファイアー・オン・バビロン)」という曲です。
She took my father from my life oh
Took my sister and brothers oh
I watched her torturing my child
Feeble I was then but now I'm grown
Fire on Babylon
Oh yes a change has come
Fire on Babylon
Fire
Fire
Fire
She's taken everything I liked
She's taken every lover oh
And all along she gave me lies
Just to make me think I loved her
Fire on Babylon
Oh yes a change has come
Look what she did to her son
Fire
Fire
Fire on
Life's backwards
Life's backwards
People turn around
The house is burned
The house is burned
The children are gone
Fire
Fire
Fire on Babylon
Oh yes a change has come
Fire on Babylon
Fire
Fire, oh
Fire, oh
Fire on Babylon
Oh yes a change has come
Look what she did to her son
Look what she did to her son
Fire, haha
Fire, haha
Fire on Babylon
彼女は私の人生から親愛なる父を奪い去りました
私の親愛なる妹と兄さえも奪い去りました
私は彼女が自分の子供たちを虐待し続けるのを見てきました
私はそんな中で、細々と生きるしかなかった
バビロンの炎
それは変化を促す
バビロンの炎
燃やしつくせ
燃やしつくせ
燃やしつくせ
彼女は私の好きな全ての物を奪い去った
彼女は全ての愛をも奪いさった
そして彼女は私に嘘を教えこむのです
私が彼女を愛していると思いこませるのです
バビロンの炎
それは変化を促す
彼女が自分の子供に何をしてきたのかを見て
燃やしつくせ
燃やしつくせ
燃やしつくせ
生活は荒れ果ててゆく
生命は朽ち果ててゆく
みんなは流転して
家は燃えるようにメチャクチャになって
家は燃えるようにメチャクチャになって
子ども達は追い詰められてゆくの
燃やしつくせ
燃やしつくせ
バビロンの炎
それは変化を促す
バビロンの炎
燃やしつくせ
燃やしつくせ
燃やしつくせ
バビロンの火
それは変化を促す
彼女が自分の子供に何をしてきたのかを見て
彼女が自分の子供に何をしてきたのかを見て
燃やしつくせ
燃やしつくせ
バビロンの炎
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私の訳は簡易ですが、書かせて頂きました。(間違っていたら御免なさい。)
当時の「シネイド」の気迫は通常の「歌姫」とは一線を画しています。
つまり、生命の根幹に伝わるような歌い方をする方をするのです。
聞いて頂けると解りますが、「ハート」を飛び越えて、腹の内側に入ってくるような感じを覚えるのです。
このような気迫は、もう普通に「歌」と言って良いのかも解りません。
今、この日本の現状、どれだけの「虐待」という悲劇的な日常が隠されているでしょか。
「シネイド」の生い立ちと同じような方々は、年齢を問わずに溢れているはずです。
しかしながら、例え自分が「虐待」を受けていたとしても、それと話す事が出来なければ、まさか自分が「虐待」を受けいていると思う事も出来ない方々が沢山いるはずです。
私は簡単な答えになりますが、「社会」も「家庭」も、その歴史を作ってきた「ご先祖達」も含めて、隠し続けてきた人間の非道な魂の結果であると思っています。
そのターゲットとなる方々は、決して悪くなく、普通の人間なのですが、悪人として存在させられるのです。
それは、悪人を作り上げれば、この世の汚さを、その場所という人間へ放り込めるからです。
こうした方々の開放や、その世界そのものを破壊するような生命の響き。
これが「シネイド」の「Fire on Babylon」という歌には感じられるのです。
この方は「魂」を歌っているのはないのです。
ライブ版を聞いて頂けると解りますが、「魂」のその下にある「生命」の根幹から声を出して歌っているのです。
「人」が練習や教育で習得できる「歌」ではないのです。
現代に自己保身の為に形造られてしまった、そうした社会を木端微塵に無にする叫びなのです。
どうしても、日本のポップカルチャーでは「ラブソング」や「青春歌」、もしくは「ファッション感覚」のような音楽ばかりが生産され続けます。
いくら時が流れても、いまだにその傾向は変わりません。
「実存」という「人間体」、この存在を共鳴する「音波」が日本には少なすぎます。
私達はそのような環境の中で、どのようにして「実存」という「人間体」を感じれば良いのでしょう。
「虐待」に始まる非道徳な日常を、唯一、人間の力で打ち壊すには、知恵と魂を見つめる事が必要です。
決して1人きりと思い込んで、考えて行動を行わない事。
問題に向き合った時、すでに守護者や協力者が、その方に先見と言う「気付き」を与えるはずです。
そして「愛」に懇願を求め続ける事。
「愛」は「愛」というエネルギーの存在に懇願する事。
決して、「愛」が人間という姿のみである事はありません。
先見と「愛」の道筋を信じる事。
そして、自分の「慈愛」という「やさしさ」を、虐待を与えている者に対して「がまんすれば良い」などと言う理由で消費しない事。
逃げるという道を持っておく事。
今、聞くべき命の曲 シネイド・オコナーの「Fire On Babylon( ファイアー・オン・バビロン)」をご紹介させて頂きました。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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