こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「芸事カテゴリー」にて投稿します。
photo credit: archer10 (Dennis) OFF Netherlands-3992 - Van Gogh - 1887 via photopin (license)
ゴッホについて語った事はありません。
私は基本的に「印象派」が好きではないからです。
いや、好きではなかった。
それは退屈で「浮世絵の影響を受けた」なんて宣伝も、実に退屈でありました。
ただ、最近になって「デトロイド美術展」という催しに出かけました。
「印象派」の「絵画」が多数展示されています。
何故に「印象派」が嫌いなのに出かけたのか。
それは、たまたまチケットを安く購入出来たからです。
実は「ダリ展」が開催されているのですが、それが見当たらず、安値で売られていた「印象派」の絵画が展示されている「デトロイド美術展」のチケットを購入してしまいました。
(詳しくは、ブログ内で投稿したいと思います。)
photo credit: quirkyjazz Smithsonian Art via photopin (license)
ただ、ゴッホについても、どこかで毛嫌いしていた部分がありました。
(たぶん、幼稚な話しですが、精神病的な絵画という宣伝のせいです。)
(ただ、ゴッホとドガ、モデリアーニに至っては印象派でも例外的に感じていました。)
一般的な「印象派」を「絵画」と認めてよいのか。
これはある意味、「ハードロッカー」が「パンク」を嫌う?のような感覚です。
それほど毛嫌いしていました。
ただ、年月を重ねて、久しぶりに「印象派」の「絵画」を見ますと、ふと思いました。
「おい、いいじゃないか。」
ゴッホと言うと「精神病患者」のイメージが強いですが、この方は「芸術家」です。
物凄い「芸術家」です。
私は見誤っていました。「絵画」とは、それを単に評価する以前に、それを作り出している現実の輝きや煌めきが必要である事。
ゴッホは十分に理解していたでしょう。
「芸術家」とは、この世界で唯一、創造的な能力を有した人物です。
ゴッホも間違いなく、その人であった事でしょう。
その際たる理由は、ゴッホの「絵画」には「世界」が満ち溢れています。
それは、その絵画が現実であるかのように「世界」が満ち溢れています。
ゴッホの人物画は「いまだに生命が有る」という衝撃を伝えます。
これは写真では取る事の出来ない、写す事のできない生命の衝撃です。
photo credit: quirkyjazz Smithsonian Art via photopin (license)
ただ、惜しむべきことは、ゴッホが「絵画」の道のみを歩むことが出来なかった事です。
ゴッホから見る、この世界は「絶え間ない輝きと美しさ」に溢れていたに違いありません。
しかし、その「視野」は、実生活とは無縁の「視野」です。
ゴッホがそれこそ「神の目」を持って、自分の心に写し出していた能力と、現実の実生活は、かけ離れていた事でしょう。
時代は「産業革命」をより進展させていました。
ゴッホの「目」では、この現実に生きる事は「相反する」事実であった事でしょう。
私は、やっと解ってきました。
これは「ウソ」ではなく、ゴッホの「絵画」のダイナミックを見続けていれば、やがて日常の「奇跡」をいくつも経験し始めそうです。
つまり、「絵画」から「生命」が常に溢れ出しているのです。
これこそ「芸術家」と言われる人達の力量であります。
特に、ゴッホは解りやすく、そして強烈です。
ゴッホは「憂鬱」に悩まされたでしょうが、その残された「絵画」を見つめる人にとっては、逆に「憂鬱」が吹き飛ばされてしまいます。
偉大な芸術家です。
凄い、凄い、本当に激しく凄い芸術家です。
人の「人工的」な、「物質的な力」では描く事ができない境地です。
本当に凄い芸術作品を、この世に残してくれました。
本当に感謝です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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