「チャクラ」より「光」を感じる事

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「超常世界カテゴリー」にて投稿します。

 

なんか、「気功」や「オカルト」などを投稿し続けますと、読者ばなれしてゆく今日この頃です。

さて、そんな投稿中「ハートチャクラを開く方法」という内容が、よく読まれています。

 

 

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私が他のブログを見てみますと、かなり「崇高」な事が書かれています。

いや、「崇高」に書かれています。

 

読む側からしたら、それは専門的っぽくて良いかもしれませんが、結局、身になる事は薄いのではないかと感じてしまいます。

 

例えば「ハートチャクラ」で専門的な単語が羅列していれば、確かに「身に着けた気分」にはなりますが、きっと「そんなもの」で終わります。

 

私は以前、「心地よい季節なので「さらにワクワク」してみる」という投稿で 「上丹田」と「中丹田」と「下丹田」の説明をさせて頂きました。

 

これを理解する事が苦しい方もいたかと思います。

 

さて、こんな話がある事を知っているでしょうか。

 

江戸時代に「黒住宗忠」という方が、自分の中に「神様」があると言う事を理解しました。

この方から「黒住教」として、今日まで伝わっています。

 

その基本は「太陽の呼吸」です。

 

もちろん、「黒住宗忠」だけではなく「五井昌久」さんも話されていますが、基本的に私達の体の中には「神がある」としています。

 

その理由から、私達が見る景色は、実は「神様」を通じて見ていると言う事です。

こう話しますと宗教的ですが、ここがポイントです。

 

つまり、チャクラを知りたいのであれば、まずは「自分の目」を「神の目」の「ファインダー」に変える事です。

 

それには、毎日を「感謝」の気持ちで接するようにします。

その理由は「神の力」は「愛」であるからです。

だから、「感謝」の機会を多く持ち、まずは「神性」を導き出します。

 

こう話しますと宗教的ですが、ここがポイントです。

別に、宗教的なんてどうでも良いのです。

それは「道具」です。

だから、その「道具」を使いこなそうとして「崇高」な事ばなり書く人が絶えませんし、それを習得しようとする人が絶えません。

 

 

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ここでは「道具使い」になる事よりも、人間の本姓を発揮する必要が重要です。

 

私の投稿で「光の呼吸」や「宇宙とつながる」など、かなり「オカルト」な内容を投稿していますが、「光の呼吸」だけでもお勧めします。

 

「光」と「呼吸」が解かれば、チャクラなんて解かります。

 

そして「崇高なクラウンチャクラと超次元に繫がるハートチャクラを繋げて」なんて、高度な文章は必要なくなります。

 

単純です。

 

ただ、それには「光」を大切にする事です。

「上丹田」と「中丹田」と「下丹田」の光を大切にする事です。

この場所に「光」をイメージするのです。

 

イメージをします。イメージは科学です。質量が無いだけです。

現実として存在している実態です。

 

この「光」こそ、外界のエネルギーと調和できる「力」です。

その「力」を理解もしないで「チャクラを開く」と言っても、だからどうなるという話です。

 

「宇宙とつながる」という投稿を見て頂ければ、その雰囲気は解ると思います。

基本的に、各部の「光」が「道すじ」を開かせるのです。

 

それは「自分勝手な個人的な肉体的な科学的な態度」ではなく、「愛」と「感謝」を持った「精神体」である事を心がけます。

 

外界のエネルギーは、この「愛」であるのですから、これを受け取る側が「愛」をまとっていないと、得る事は難しく、つまり「チャクラ」を開く意味がありません。

意味がないと「チャクラ」は閉じます。

 

これは、私が色々なオカルト本を読む中で習得している、私自身の体験談です。

 

この世で幸せである事が大切です。

それを学問で言いますと「哲学」です。

 

「哲学」の意味は「良く生きる知恵」です。

 

良く生きる、様々な方法のひとつとして「光のイメージ」を実践される事を望みます。

これはラジオ体操と同じです。

 

次回に、もう一度だけ「光のイメージ」のお話しをしたいと思います。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

次回に続きます。

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