「光」となる「三つの光体瞑想」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「超常世界カテゴリー」にて投稿します。

 

前回より、再度「光」について投稿したいと思います。

この瞑想は、かなり「効果」のある結果を生みます。

 

でも今週の最後なので、申し訳ございませんが、長い文章になります。

(でも、ためになります。)

 

今回は「ペニーピアス」さんの「直感」(P194~P196)を参考に、自分なりに改定して投稿させて頂きます。

 

まず「眉間」を意識します。

 

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そして、その「眉間」の奥の「脳」の位置を意識します。

ちょうど、真ん中あたりに「松果体」があります。

その部分を意識して見ます。

 

Illu_pituitary_pineal_glands_ja

File:Illu pituitary pineal glands ja.JPG – Wikimedia Commons

 

この部分が意識できましたら、頭上(いわゆるクラウンチャクラ)から頭の中心にある「松果体」と「脳下垂体」の間にエネルギーを流し込みます。

 

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この際、右回りの「らせん」を描いて降ろしてください。

右回りは「エネルギーの注入」になります。

(左回りでは発散ですので注意!)

 

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この頭のポイントが「上丹田」です。

この「丹田」は「気づき」のエネルギーを持ちます。

 

頭上から引き入れた「エネルギー」より、「松果体」と「脳下垂体」の間に「光」を感じてみて下さい。

 

イメージします。イメージは科学です。イメージした物は「質量」が無いだけで、実体として存在しています。

それは現実として脳は判断しています。

 

その「光」は前後と左右、そして上と下に発散されています。

 

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どんな感じがしますか。

その心地よさを味わって下さい。

 

その澄んだエネルギーより、「光」が発散する「光」が不安や恐怖を掻き消しています。

 

その状況も味わって見て下さい。

 

 

では次に「尾骨」の下の部分を意識します。ここに「光」をイメージします。

(いわゆるベースチャクラ)

 

その「光」は前後と左右、そして上と下に発散されています。

 

その「光」の透明な白い光のエネルギーは脊髄下部から、足を通じて「大地」に降りてゆきます。大地の底に行きつくと、今度は「あなた様」めがけて、大地のエネルギーが返送されてきます。

 

これが大地と繫がる感覚です。

(もう少しだけ解かりやすく話しますと、スワイショウで手を後ろに振る時に、手の平に「スポンジ」のような物を押す感覚があると思います。あれが「大地の気」です。上昇している「大地の気」を手で漕いでいる為、あの感覚があります。だから「遅め」に、とらえるようにすると解かりやすいと思います。ここでは上昇している「大地の気」と繫がります。)

 

それは足の裏から尾骨、性器、そして腰へと上がってきます。

 

 

今、「天空のエネルギー」と「大地のエネルギー」をまとっています。

頭の中心と、尾骨の下は「光」で満たされています。

 

 

この状態で「心臓」を意識します。

 

今のあなたは「天」と「地」の気をまとい、「心臓」に「光」を発生させる事が出来ます。

「頭」と「下半身」同様に、「光」をもたらせてください。

 

その、とてつもない「光」は「生命感」に溢れて、エネルギーが満ちています。

 

それは白い透明のエネルギーです。

 

心に抱える、様々な「悩み」や「苦しみ」は、このエネルギーによって無くなってしまいます。

 

 

これが「三つの光体瞑想」です。

 

この感覚を5分、10分と時間を決めて味わって下さい。

出来れば、一日のうちで、出来る時に行って見て下さい。

その内、一瞬で「三つの光体」を発せられます。

 

 

本当に、「光」を感じると言う事が大切な事です。

 

どうしても「イメージはインチキくさい」や「現実感がない」という感じを持ってしまいますが、それが「現実的な肉体感」に支配されている状況です。

 

この状況では、外界のエネルギーを理解する事は難しく、前回の投稿の続きで「チャクラを開く」と言っても、ベースである「光」でない為、「チャクラ」を開く意味もありませんし、「チャクラ」が開く意味もありません。

 

私に余力?があれば、次回に「禅」のお話しをしたいと思っています。

「禅」は仏教の根幹です。

 

「肉体」を超えた所に「真実」を見ます。

そこには「現実的な肉体感」に支配されている状況はありません。

 

もしも目の前で「風で洗濯物が揺れている」と見えるのであれば、それは現実に風が吹いているから「洗濯物が揺れている」のではなく、「心の中で洗濯物が揺れている」から、揺れて見えているのです。

 

このような感覚に近づくと、「イメージはインチキくさい」や「現実感がない」という感じがなくなって行きます。

 

私達の世界は、本来は「美しすぎる」や「輝きすぎている」という世界です。

しかし現実的な肉体感」に支配されていると、それが曇って見えてしまいます。

 

だから、私も現実的な肉体感」を極力排除しようと「リラックス」しています。

この現実的な肉体感」が、様々な悲劇を生んでいます。

人間は頑張ろうとすると、どうしても「力んで」しまい、緊張します。

それが「現実的視野」を強めてしまいます。

 

人が正しく美しく、気持ち良い状態は「光」であります。

今回も長い文章になりましたが、最後までお付き合いして頂き有難うございます。

 

 

次回は17日頃に投稿致します。

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