こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「プチ神事カテゴリー」にて投稿します。
昔、「ズバリ言うわよ」という番組の中で、細木さんが語った真言です。
ある嫁と姑の問題に対して、あるお寺の住職さんが「トンチ」を効かせて答えました。
住職は姑に、嫌な気分が巡る度に「オン ニコニコ 笑顔で ソワカ」という真言を、唱えるように教えました。
毎日、こうして「オン ニコニコ 笑顔で ソワカ」と唱えている内に、嫁と姑の間に、お互いの事が理解が生まれ、笑顔が出るようになっというお話であったと思います。
私は「天然石」や「神様」などのカテゴリーで、自分が勝手に判断した気持ちを投稿しております。
そこで肝心な事は、「自分自身」である事なのです。
これも、うまく伝える事は難しいのですが、私は「神様」が光輝く存在であるとしたら、人間も同じように、光輝く存在であると見ています。
それを知っている方々は、自然と自分自身に従って生きています。
光輝く「光体」はとくに、「善」や「悪」を判別していません。
「光体(自分自身)」に問いかければ、「善」や「悪」の判断は関係なく、成せる事や、成る事をすれば良いと感じる事でしょう。
私はよく、「神様」に関する投稿では、「神様」を尊ぶ事はもちろんですが、まず「自分」があると言う事を大切にする事を上げています。
その理由は、「自分」が感ずる事は「自分」でしかなく、他者の知恵でもなければ、全面的に「神様」の力でもない訳です。
故に、私は「自分」の「光」を大切に見ています。
自分が行う全ては、この「光」を見る事が出来ていないと、誤った思考や、わざわざ「ネガティブ」な行動に陥る事が多いからです。
誰にでも「光」という存在はあります。
その存在を理解するには、「他者」の存在を理解しないといけません。
「他者」とは人間だけでなく、森の木々であり、空の雲や、吹き抜けてゆく風などです。
ここに「自分」を離れて、「他者」と一体になる感覚を覚えないといけません。
そして、その感覚が「自分」の中にある「光」を見つめる感覚と同じなのです。
「自分」という存在も、「他者」と同一になる感覚で見ないと、見えてこないのです。
「他者」と同一になる感覚を、自分の中に起こすのです。
そうした事が出来る方々は、「自然」と悠々と生きているのでしょう。
話を少し変えますが、いわゆる大きな神社が「邪気」と言いましょうか、息苦しい気分をよく覚えます。
何故であるか理由はわかりません。
別の角度から見ますと、普通に参拝をしている方々に嫌気を覚える時があります。
私が変わっていると言う事もあるのでしょうが、やはり気分が悪いのです。
つまり、 「オン ニコニコ 笑顔で ソワカ」という気持ちの方が少ないのではないかと思います。
「他者」に対する同一の共感性は、本当に大切な事です。
「他者」があり、そこに「自分」の反省を見て、笑顔を取り戻すのです。
これが出来ませんと、人間は「自分」から「自分」しか見れません。
つまり、自分の都合の良い事しか行動できなくなります。
責任事は、他人に預け始めます。
問題は、誤魔化し始めます。
理由は「自分」しか見れないからです。
人間は自分の都合の良い場所に落ち着こうとします。
「他者」との「同一」に笑顔を見つけないと、「自分」を確認できません。
「オン ニコニコ 笑顔で ソワカ」という言葉も、私達に大切な言葉であると思います。
とにかくですが、「笑顔」が大切なのです。
それも「自分」の内にある経験事だけでなく、その場にある「他者」を見据える、そして同一できる感覚が必要です。
その感覚と同じように自分を振り返ります。
その時に、自分と他者との間に垣根がなく、笑顔が出始めて、解決の一歩になるでしょう。
そして「他者」も、あなたの「光」を直感で意識し始めるでしょう。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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