僕たちが火をつけたんじゃない ビリー・ジョエル(Billy Joel) 「We Didn't Start The Fire」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「芸事カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

毎日、相変わらず息苦しいニュースをよく見かけています。

少し前は「ギリシャ問題」であり、継続して気になる事は「中国経済」など問題が絶えません。

いずれも解決を見出すのであれば、一度デフォルトを経験しないとならない事象でありますが、すぐに別の問題が発生し始めます。

 

国内についても同様です。学校での「いじめ自殺」の問題などを見ますと、どうして「人間の魂」の価値を肌見に感じて、接する教師もご両親も、対応出来ないのかと思います。

 

しかし、別の場所では「スター」と呼ばれるような人材が輩出され続けます。

「テニス」や「体操」や「アイススケート」などのスポーツを見れば、若い世代が世界を相手に活躍し続けています。

「学問」の世界では「ノーベル賞」を受賞する、すごい業績を日本にもたらしています。

 

様々な「NGO」が困窮する方々の生活の支えになっております。

地域の方々は、発生する事件に対して敏感になり、学校の子供の通学路で監視を怠りません。

 

「法律」が政治のみの力で変更の危機に陥れば、法律家が立ち上がっています。

それを見ている市民も立ち上がります。

 

全ては「事件」であり、この傾向は常に続いています。

そして、これからもとどまることを知らないのでしょう。

 

私が「脱構築」という投稿の中で書いた内容ですが、世の中の事象は、解決策がある訳ではありません。

http://mahakara.blogspot.jp/2015/02/blog-post_62.html

 

また、古代ギリシア哲学時代より、解決策は論理的に有るとしてきたのが、今の世の中の流れであります。

その論理的な解決策を用いても、問題は人間が扱えないと「原子力発電所」のように危険と隣り合わせに生き続ける事になるのです。

 

このように、世の中には常に新しい問題が提供され続けています。

そんな状況にマッチする曲があります。

ビリージョエルの「We Didn't Start The Fire」です。

 

 

 

 

  

この歌詞は変わっていて、半世紀前に活躍した人物や事件を歌い続けます。

非常にパワフルであり、ソウルな曲であります。

 

結構な月日が経っておりますが、実のところ、改めて聞いて見て感動しています。

これは今の時勢にマッチする曲だと感じています。

曲じたいは1989年の頃で、私自身はあまり関心がありませんでした。

「MTV」で流れていても、ピンと来ませんでした。

 

しかし、日常に起こり続ける出来事を理解した上で、この曲に目を通した時、その内容が、今になって身近になりました。

 

世の中には常に、この曲のような事件や出来事が羅列し続けます。

止めたくても止まらない現実があります。

 

そんな時、「何となく」を理由に納得させられる部分もあります。

それは、過ぎ行く風のように受け止めているのかもしれません。

 

ならば、動的に「エキサイティング」に受け止めようと感じるのです。

その動きが「良い方向」に流れる事が最も良い事です。

 

この曲で歌われているように、私達に降りかかる現象は、私達が発生させた訳ではありません。

すでにその火種があり、その火が私達の目の前に現れているのです。

 

前回に投稿しました「虐待」の問題に対しても、私達が生まれる以前から受け継がれてきた感覚であり、「負の遺産」なのです。

 

少なからず、私が言える事は、そして止めたい事は、この「事件」と呼ばれる事態に対して、不信感を感じるのであれば、もう私達の世代で止める必要があるのではないでしょうか。

 

この「負の遺産」が完全に無くなる事はないでしょうかが、最小限に留める事は出来るでしょう。

それが出来るのが、日常を経験している私達です。

少なからず、声を投稿と言う形で書かせて頂きました。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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