スピリチュアル で「波動」は、何か足りないだろう②

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「思想カテゴリー」にて投稿します。

 

前回より「波動」の存在について考えています。

「波動関数」の説明からですね。

 

「波動」とは「波」の事です。

物理学者たちが1920年代以降に、粒子の振る舞いを「関数」として現わしはじめます。

 

「マックス・ポルン」という人物が「1954年」に「量子力学、とくに波動関数の確率解釈の提唱」によって「ノーベル物理学賞」を受賞します。

 

私も難しい事は解りませんが、理屈はこんな感じです。

 

GX148_L

 

水道の蛇口から「水」がバケツの「野菜」めがけて降り注がれています。

この時、「水道の水」の落ちる先が正確に予測できるでしょうか。

 

この水道ですと「まばら」にまき散らされている事が理解できます。

この「水道の流れ」が「波動関数」です。

 

「波動関数」によって「バケツの野菜」へ「水道水」が流される所までは予測できます。

しかし、実際には「どの野菜」に「まばら」に「水道水」が当たるのかが解りません。

 

この「水道水」は「粒子の集まり」と言えますし、それが「波動」のように流れ出ています。

しかし「波動」の行く先は、予測が出来ないのです。

 

「量子力学」における「波動」の行き先は、理解が出来ないのです。

 

ただ、取りあえずは「結果的」に「バケツ」の中に「水」が溜ります。

この「バケツ」の中に「水」が入る事は、「波動関数」の先にある結果です。

「波動関数」では、「バケツ」の中に「水」が溜る結果を把握できません。

 

 

これを「波動関数の崩壊」と呼びます。

 

かつて「量子力学」が生まれる以前の「古典力学」では、「粒子」と「波」は全くの別物として扱われていました。

そして、この世界の出来事は科学で「把握できる」という立場にありました。

 

しかし、「水道水」の「バケツ」への流れを見ましても、「粒子」の行き先を確立的に計算する事は出来るが、どんな「野菜」に到達するかは当たって見なければ解りません。

 

 

GX148_L

 

これは非常に大切な事です。

つまり、宇宙とは「決定」された世界ではないと言う事です。

「運命」や「計算」の行き先を当てる事は、誰にも出来ないという事です。

 

この説明をしているのが、以前に投稿した「シュレーディンガーの猫」の話です。

 

多世界解釈という知識(平行宇宙の存在) 」

http://mahakara.blogspot.jp/2016/07/blog-post_4.html

 

 

さて、いたる所で「波動」という言葉が使われている事を知りました。

 

「波動の高い人」や「波動の低い人」

「波動を高くするためのエクササイズ」

「全ての物質から波動がでており、とりまく環境にある」

 

 

私は「スピリチュアル」で「波動」という言葉を使っても問題はないと思います。

ただ、便利に使える「言葉」であると言う事を理解すべきです。

 

「波動を高める生き方」や「波動の低い人とは付き合わない」などと書かれていても、気にしないでください。

私から言わせて頂ければ、「波動はどこから出てるの」と「答えはどこにあるの」が先決です。

 

「波動」が私達から出ているなんて、安易な回答です。

 

「波動」の正体は「光」でしょ。

「波動」を発する「物質」であるとするなら、それは人間が「霊的光量子」であるからです。

(もしくは「ポテンシャルエネルギー体」だからです)

 

そして「光量子」であるなら、波動を高める「答え」はどこにあるのか。

それは「サイコサイバネティクス」」を読む。(いや、そんな感じで)

 

自分が「発光体」であり、 「光量子」としての存在であると理解するように努めれば、その時に人間が「波動」を出す存在であると言えるでしょう。

それなら、 「波動」という言葉は生きてきます。

 

 

今回、「スピリチュアル」の中で「波動」という言葉を知りましたが、安易に使う事は危険です。

 

まず、間違いなく「入口」は「自己満足」です。

「他者満足」はありません。

 

そして「波動」を知った所で、未来の終着点は解りません。

それは「波動関数」が崩壊しているからです。

宇宙の出来事は、着地点という予測が出来ないのです。

それなのに「波動」という言葉を平気で使います。

 

私から見る限り、都合よく「波動」という言葉を使っている方々には、そこに「他者」がまったく見えません。

 

自己ばかり見つめる方は「波動」が弱いはずです。

原子の動きを見ても、「自己完結」には「生成」がなく「無」になるからです。

 

「自己」の改善しか写らずに、「他者」が見えません。

これが「波動が低い」という答えです。

 

人間は、自分の都合の良い場所に落ち着こうとするものです。

 

「スピリチュアル」で「波動」に書かれている世界は心地よいですが、あれは美術館で飾られている「美術品」を眺めているようなもの。

 

それに似た作品を作り上げるのであれば、まずは自己の中の「御霊(ミタマ)」を理解する事です。

 

都合よく「波動を高める生き方」なんて、出来ないのではないでしょうか。

人間の魂は、自己満足の「コレクション化」できません。

 

変なセミナーの、お金で買う、都合よく「波動を高める生き方」なんて、あまり効果がないのではないでしょうか。

 

 

もう少しだけ 次回に続きます。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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