天然石について投稿しようと思います。
今回は「リビアングラス」です。
photo credit: Paul Ealing 2011 via photopin cc
「Libyan desert glass」と呼ばれています。その昔、隕石が爆発して砂漠の砂が溶けて固まったガラス質の物質でして、つまり砂漠のガラスですね。
鉱物じゃねぇじゃねえか?
そうなんですが、鉱物の展示会などで見かけます。(少ないけど。)
リビア砂漠で取れるガラスで、ツタンカーメンの胸飾りのスカラベ(糞ころがし虫)
など、最近になってリビアングラスが使われていた事が解ったそうです。
説明不足じゃねえか?
その通りです。しかし、この投稿タイトルは「感謝」メインでして、私の体験した「感動」を書き綴ります。
もっと早くに書いておけばよかったのですが、なに分、本当に好きな鉱物の「写真」
を取ってブログに投稿するのが億劫なのです。それは「気」を気にしており、やはり
自分の大切な物は「秘仏扱い」したいのです。
そしてもう1つの理由が、このガラスが、私にとっては「瞑想石」であるからです。
(あまり「パッ」としませんでしょ。)
通常ですと、「ヒーリングストーン」とか「カルマの浄化」などの説明がなされてい
ますが、私にはそのような意識がわかりません。
私にとって、これほど「沈黙」なガラス(鉱物ですね)はありません。
どうゆうことか、例えるならば、あなたは眠る時に「タオルケット」、
もしくは「毛布」を使うとします。
夏であれば、タオルケットでしょう。冬ならば毛布ですね。
この体に「かける物」があると落ち着きますよね。
何かにくるまっていると、それは落ち着きますよね。
私にとって、その存在が「リビアングラス」なのです。
この「リビアングラス」を枕元において眠った事が何回かありましたが、気がつくと
「疲れ」が残ったまま朝を向かえている。熟睡していた気になれないのです。
始めは「気のせい」だと思っていましたが、やはり同じです。
「これは自分には合わない」と手放そうとしますが、しっくりこない訳ではない。
「自然の気と同調しよう」という気持ちで目を閉じて集中して想像力を
かき立て、リビアングラスがあると、その状態が長く続けられる。
その時、思ったのです。私にとっては「瞑想石」である。
枕元において眠れなかったのは、意識を手中して「瞑想」を持続した状態であった為です。だから、熟睡できていなかったのです。
それが解かったので、「心」を落ちつかせたい時、「リラックス」したい時に両手に
「リビアングラス」をおいて、気持ちよい時を過ごします。
それは、「毛布」や「タオルケット」を自分にかけているかのようにです。
私の両手の中において(言い換えれば、毛布にくるまって)リラックスした時を感じているのです。
きっと、このような状態を「一体感」と呼ぶのでしょう。
素敵な存在です。
私が購入したのは、やはり鉱物の展示会なのですが、「フランス人」の方から購入しました。
学者らしく、リビア砂漠で特にキレイなものを選んでくるそうです。
どうしても、こうした物は直接に取り扱っている業者から、直接に購入される事を願います。
鉱物の展示会は結構行われているので、機会があれば是非、足を運んでください。
外国バイヤーばかりですが、片言英語で十分です。
本日も、気晴らし程度に何か感じて頂けたら、幸いです。
最後までお付き合い頂き、有難うございました。
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