フッサールの言葉「超越論的還元」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日はフッサールの言葉「超越論的還元」を投稿しようと思います。

またしても、難しい言葉です。いかにも哲学的な用語です。

私的に簡単にご説明したいと思います。

 

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photo credit: Arturo Espinosa via photopin cc

 

以前ですが、「カント」の説明をしたところの「客体」をご記憶でしょうか。

まずですが、哲学の世界では「主観」と「客観」という事柄があります。

「主観」は自分の世界、「客観」は自分外の世界と説明したら解るでしょうか。

「物事を客観視する」と言うような事は重要でして、私という「主観」を排除しない

と、事実という事柄が見えてこないのであります。

 

普通はこれだけで治まるような気がしますが、「フッサール」は違います。

ここから、ややこしくなるのです。

 

この「客観視」する、人間の認識を、まず排除します。

 

そうすると、「主体という意識」だけが残りますよね。

 

それを「フッサール」は「純粋意識」と呼んでいます。

この「純粋意識」をかき集める作業を「超越論的還元」と言います。

 

で、だから何なんだ!

 

そうです。そのとうりです。「超越論的還元」が解ったところで、あなたの人生の

どこに役に立つでしょうか。

 

ただ、アプローチが違うのです。

 

例えば、何か事件が起こったとします。普通であれば、現場検証を行います。

これは、「客観的立場」に立った科学的な検査です。

ところがです。実のところ、その「客観的立場」でも、検証する人によって

結果報告は違いますよね。完全な一致ではないでしょう。

 

世界という客観(客体)は、みんなで見ている世界にもかかわらず、

実は一致しないんです。

では、人間が意識している世界とは何であるのか。それを求めたのが「フッサール」です。

先に述べました「純粋意識」が「見る」、「経験する」、「知覚する」と言った認識

が「世界」を知る事になる物なんです。

ただ、純粋に意識の中に「世界」は見出される。

そして、これを最も安定した状態で伝える人間の手段が「言葉を話す」事です。

 

ただ、ここまで突き詰めるには「人間離れ」した存在であると感じるので、

本日も生き抜き程度に「へぇー」と思って頂けると幸いです。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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