ソシュールの言葉 「言語記号 シーニュ」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「ソシュール」について投稿したいと思います。

名前は「弱そうな人」ですが、この人の存在が後々、大きな

影響を及ぼす事になります。

 

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photo credit: hdes.copeland via photopin cc

 

「言語学」や「構造主義」は、この人を口火に20世紀において拡大してゆきます。


さて、ソシュールですが、この人は言語学者でした。


「言語とはなによりもまず、「諸記号の一体系である」事」という

位置付けをします。


特に、ソシュールで特徴的なのが、「シニフィアン」と「シニフェイ」という関係を

表した事です。下の写真を見てください。「コップ」や「ビン」が写っています。


 

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photo credit: John Althouse Cohen via photopin cc

 

写真のような「映像」を知覚して、対象を「概念」として理解する人間の作業。

人間は「言葉」と「物」を結びつける作業を自然と行っています。

 

ソシュールは、この「知覚」して認識する部分を「シニフィアン」(指示部分)、

対象を「概念」として理解する部分を「シニフェイ」と呼びました。

 

言語記号(シーニュ)には、この2つの側面が備わっています。

 

ちと、長いのですが、(飛ばして読んでも結構ですが)見てください。


「文字はある約定、一つの恣意的物象の上に立脚しているのである。
だが、それをいくらかでも変えることは個人には不可能であり、
また、共同体でさえ、それを何一つ変えることは出来ないのである。



ソシュールが言うには、「文字」のやり取りという関係は「恣意性(要するに、計画性がないけれど、勝手に出来上がってゆく)によって仕組み作られてゆく。

それは、個人や集団でさえ、簡単に変更する事ができない。

「コップ」や「ビン」を簡単に、別の意味に変える事は、出来ませんでしょ。

 

ところがです。少し「変だな」と思ってもらいたい所があります。

どうして人間は、先ほどの写真を見て「コップ」や「ビン」を理解できるのでようか。

あなたは誰から習いましたか?いや、大昔の人は誰から習いましたか。

 

沢山の言語記号(シーニュ)を私たちは使いこなしています。それはギターやピアノ

の「コード」のように使いこなしています。

私たちの意識内に、言語記号が「コード化」されているのです。

 


言語とは、生理学的機材の類の一つの機能であるのではなく、人類的に我々を刻印しているもの、言語を生産するために欠くことの出来ないものの中には単独で考察される音、思想なのである。


コード化された共通の世界が、以前にご紹介した「ラング」です。

私たちは、「ラング」という社会の中で、コード化された道具を個人(パロール)が

意識的に言葉にして扱える為、「コップ」や「ビン」を理解できるのです。

 

「コップ」や「ビン」は、社会という「ラング」の中にある物で、誰でも理解して使

えるものとして、この世界に用意されています。使いこなすには、コード化された

言語記号(シーニュ)を理解すれば良い。

 

人間の世界は、まるで「ある物」が当たり前のように用意された社会であるとも言え

るのです。世界各国の人種が、「コップ」や「ビン」を理解できて、現地の言葉を覚

えれば、そこで生活も出来る。

不思議だと思いませんか。

 

ちなみに、文化や文明の中にある社会現象などの「ラング」の構造を

解明しようとする学問が「構造主義」になります。

 

本日も生き抜き程度に「へぇー」と思って頂けると幸いです。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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