ラングとパロール (前回の続き感想)



前回書き残したオマケです。私が昔に抱えていた記憶です。

昔、日本では「明治維新」が起こりました。外国から様々な文化が入る状態になってゆきます。きっと多くの方々が新しい「衣服」をまとうように、文化という「衣服」をお金を使って身につけて行ったでしょう。そこには、無意識で行った方々も多くいたでしょう。

この当時に「福沢諭吉」などの博学者が多数現れて、近代日本人の社会思想を形作ってゆくと思います。

私が恐怖するのは、「ラング」という存在です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言う文章は有名ですが、恐怖をはらんでいます。

その他の著書に、福沢諭吉は「脱亜論」をひっ筆します。題名を見ればそのままの内容です。

福沢諭吉がこの思想に至ったには理由があります。(ここでは省略させて頂きます。)

もしかすれば、日本にとって、これはこれで良かった経験かもしれません。

しかし、「ラング」とう「脱亜論」に共感する個人が動けば、それは現実の実体を形作ります。

その結果ですが、朝鮮の方々で日本を批判する歴史の強い部分はここからです。

日本人がこの朝鮮文化体の中でやってはならない事を行ってしまいました。それは朝鮮文化への侵入。侵略と呼ばれています。

何故、他国の文化の中に入り込んでしまうのか。他の帝国主義国は行なっていないのに。

「日本人が当時に悪い事したの⁉︎」と思う方々は沢山いらっしゃいます。私もそう思っていました。しかし、朝鮮の方々からしたらどうでしょうか。これは経験した人間でないと解りません。

私の住んでいるすぐ近くに「神社」があるのですが、戦時中は「天皇」の写真が飾られていたそうです。元はおそらく牛頭天王様だっのではないかと思っています。次がスサノオ様でしょう。

私が小さい頃はそんな神社に大きな木が2本立っていました。しかし、その大きな木が2本とも切られてしまいました。枯れてきたのか、それとも住宅が増えたせいでしょうか。地元の方々よりも知らない顔ぶれの方々が増えてゆき、秩序や人間関係も気薄になって行きました。

このように、文化が気薄になる光景を見てきました。文化こそ、そこに住む人たちにとって頼りとなる物でしょうが、特に私の地元にはないと思います。

朝鮮の方々にも誇れる歴史文化があります。しかし、「脱亜論」のような風潮もひと役かった事になり、文化に侵入される事になりました。文化と心を共にしておる人間にとっては苦痛です。

時代が進み、今度は「国体論」が生まれます。この「ラング」の主体は「天皇」です。私が「ニーチェ」の事を書きましたが、その冒頭で「昔の人は頭が良かっただろう」と書きました。間違いなく、「国体論」が一人歩きをしてしまえば、誰も止められない悲しみを向かえると思った方々は大勢いたでしょう。

「ラング」という文体のみを誇張して、対になる個人が止められない状態になるのは、もはや異常なのです。舵取りの効かない船頭達は、どうしたら良いのでしょうか。

「ラング」を現実に意味づけているのは個人です。個人はどのように「脱亜論」や「国体論」を手にしたのでしょうか。そこに「良心」はあったのでしょうか。

まず、無かったでしょう。「脱亜論」は新しい日本国の希望、進む道。「国体論」の時も同様に、それこそ国を何とかしようとする気が満ちていたでしょう。

しかし、ここには「良心」に差異する「他者」を描いていないのです。「良心」のネットワーク、個人内の「良心」を見る事など無かったでしょう。こんな事を書いたら、現実を見ていない人間と思われるでしょうが。

文体だけを個人の集団が利益の為に道具とする時、良心もクソもありません。

現代でも、他国同士の衝突が絶えない地域がいくつもあります。

それは「グローバル」になれば更に激化しました。

その文化の構造等を、次回に書き残したいと思います。



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