痛いの痛いの飛んで行け


実は  のお話です。


というものは、肉体に流れているもの、そして身にまとっているものです。

この「気」とういものは、「伝染」する特徴も持っています。

例えば、電車の中で「居眠り」をしている方を見かけると、こちらも眠くなってきます。「気」のせいでしょうか。「気」の世界では、これを「気」のせいにしません。

私が自分の「気」と向き合うようになった経緯は、中国武術などに興味をもって気功の本を読むようになってからでした。

そして、かなりしばらくして・・・「天然石」に興味を持った時期がありました。「天然石」が好きな為に持ち歩くようになると、だんだんと自分の「気」が解ってきました。

「気」というものは、「気のせい?」から始まったかもしれません。無生物という「天然石」に接する内に、本来は生命体である人間に発する「気」の交換作業がなくなり、天然石との交換作業になった為、何となく自分の「気」のめぐりや存在が解ってきました。

実は、誰でも感じている物です。これを強化する事もできるでしょう。しかし、それは「筋肉トレーニング」と同じで、ムキムキマンになるほど鍛える事は困難です。
  

私には、今は簡単なヨガや座禅がベストです。

「スワイショウ」という気功体操も良いですが、私は進んでやりたくはありません。

あくまで、私はです。

「気」は止まった状態で外に出しすぎず、貯めてこそと思っています。



本題ですが、「痛いの痛いの飛んで行け」です。 



とりあえず、「手をカドにぶつけた」等、アザ程度やもしくは「原因不明の突発的な吹き出物」等があったとします。

そんな時は「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」、「痛いの痛いの飛んで行け」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、 その痛い箇所に対して例えば「指す」ように、例えば「ほじくる」ように繰り返します。

「痛み」を伴った箇所の「気」が 「痛いの痛いの飛んで行け」という気の命令によって飛んでゆきます。

飛ばしているのも、自分の「気」です。


最近、聞いたホットな話では、飛んでいった物は山の「うさぎ」に叩かれて「雲」になってしまうそうです。

そこまで連想できれば、なお良いと思います。

私の経験上ですが、「原因不明の突発的な吹き出物」が腕に出来たため、この種の事を行いました。すると「吹き出物」がなくなるのですが、気がつくと別の箇所に「吹き出物」が移動しているのです。ふざけるな!と思いました。

まとめますと、人類皆が穏やかであれば、地球も穏やかになり、皆が笑顔で幸せが来ると思います。


人はこの「天」と「地」の一部です。

人心が乱れれば天地が狂うのです。


どうぞ、皆が笑顔でありますように。


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