こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。
あの「桂 太郎」の「ニコポン」についてです。
File:11 KatsuraT.jpg – Wikimedia Commons
あまり有名ではない気が致します。
Wikiより引用しますが、(弘化4年)1848年1月4日生まれ。 大正2年(1913年)10月10日に没。
長州藩士であり、台湾総督(第2代)、陸軍大臣(第10・11・12・13代)、内閣総理大臣(第11・13・15代)、内務大臣(第22代)、文部大臣(第23代)、大蔵大臣(第13代)、貴族
院議員、元老、内大臣、外務大臣(第25代)などを歴任しました。
なーんだ。いわゆる、時の馴れ合い政権人かと思ったら大間違いです。
すざまじき八方美人です。
戊辰戦争を経て、明治維新となり、その後にドイツへ留学。
その成果を「山縣有朋」の下で発揮して、「八方美人」能力を使い、何と首相になってしまいました。
とにかく、人当たりが良い方であったようです。写真を見れば、それが伺えます。
そして、その「桂 太郎」の有名な戦術こそ、「ニコポン」と言われます。
「ニコポン」とは、「ニコニコ」しながら相手の肩をポンと叩き、お願い事をする行為であります。
つまり、人当たりの良い方が、「ニコニコ」しながら、他人にお願い事をるす、ある意味、卑怯な戦術であります。
しかし、この「ニコポン」が、様々なドラマを生み出しました。
その道筋のひとつが「日英同盟の締結」でしょう。
桂 太郎 ・・・君なら大丈夫だよ。私は保障するよ「ニコポン」。
とりあえず、イギリスもくっ付きたいんじゃないの。
こんな会話があったがどうか、「林董駐」英公使とイギリスのランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス外相により、「日英同盟の締結」が行われました。
File:Marquess of Lansdowne.jpg – Wikimedia Commons
日本が、帝国主義国として、諸外国と肩を並べ始めます。
しかし、最大の国難が忍び寄っていました。
「大国ロシア」との間に、ついに戦争が勃発します。
「東郷平八郎」「乃木希典」「児玉源太郎」「大山巌」など、蒼々たるメンバーが歴史の表舞台に登場して、とんでもない戦争が始まります。
おそらく、こうした国難において、政治を不安定にせず、また、こうした国難に関わる方々に、「桂 太郎」の「ニコポン」は、常に炸裂していたでしょう。
桂 太郎 ・・・君にしかできない仕事だ。君なら何とかできる。「ニコポン」。
とにかく、戦の事意外は私に任せておくれよ。
とかく、「日露戦争」など、軍人に目を向けてしまがちですが、国家の運営をしているのは、その長である首相であります。
「桂 太郎 」の人徳もまた、見逃してはならない最大のポイントです。
そして、なんと、大国ロシアが戦争を止める気になりました。
当時の大国ロシアの内情は、あまり良くはありませんでした。
ロマノフ王朝に対する、国民の怒りが爆発しそうでした。
しかし、ロマノフ皇帝ニコライ2世としては、「日露戦争」を続けるなら、どんどん武力を送り込むよ!という気構えでおりました。
File:Nicholas II, Tsar.jpg – Wikimedia Commons
そんな状況で、また「小村寿太郎」が担ぎ出されます。
桂 太郎 ・・・君なら大丈夫だよ。私は保障するよ「ニコポン」。
とりあえず、ロシアも戦争を終わらせたいんんじゃないの。
小村寿太郎・・・賠償金なんて取れないよ。まだ、戦争やるき満々だよ。
桂 太郎 ・・・とりあえず、お前にまかせるよ「ニコポン」。
後の事は、何とかなるよ。
そんなこんなで、ついに「日露戦争」を終結させる事が出来ました。
形的には、日本が列強の大国を倒したのです。
これは、当時の名だたる軍人や財界人や、官僚が優れていたからと思いがちです。
しかしながら、これは誰でも理解している事ですが、能力だけでは、戦に勝つことは出来ません。
強烈なる「人徳」が、「桂 太郎 」にあったからこそ、勝利という形で終結させる事が出来たのではないかと思うのです。
よく、「神の国」とか「神の戦」のような表現で、大日本帝国を表現していますが、もっとシンプルに考えるべきであると思います。
日本には、様々な「八百万(やおよろず)の神」がいると言われます。
人も物も、動物も植物も、空気にも水にも、つまり万物に神を宿しています。
「桂 太郎 」は「ニコポン」により、あらゆる神々を突き動かしたのです。
ここで私が言います神とは、「人」の事を言います。
「人」と言う存在は、我がままでありますし、怠け者であります。
そうした方々に対しまして、「ニコニコ」しながら肩をポンと叩き、お願い事をする行為であります「ニコポン」。
それが、いわゆる日本を動かす大きな舞台で繰り広げられれば、それは「神の国」になる気がするのです。
現代の時代におきましても、明治の混乱した時代には、何故か神聖さと誠実さなどを感じてしまいます。
「桂 太郎 」は現在、東京は「松陰神社」鳥居の左手の道を進んだ場所に埋葬されています。
写真の中央付近に大きなお墓があります。
「桂 太郎 」の遺言で、尊敬する「吉田松陰」先生の近くに埋葬して欲しいと言う希望であったそうです。
現在、お墓の敷地内に入る事は出来ません。
私は、外からですが、そっと手を合わさせて頂きました。
誰でも、口にする事だと思いますが、明治の指導者と昭和の指導者を比べると、差があると感じる事です。
その最たる出来事は、第二次世界大戦であったと思います。
昭和の時代におきましても、それは優れた方々が沢山おられました。
きっと、明治の時代よりも多かったのではないかと思います。
しかし、「人」たる国家としての機能が薄れたのではないでしょうか。
つまりは、「桂 太郎 」のような、人に対して人徳を持ち、世の流れを変化させる人物を、失っていたのではないでしょうか。
「桂 太郎 」は写真を見る限り、本当に悪い方ではありません。
こうした政治家が、現代にいてくれればと思います。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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