こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「鉱物カテゴリー」にて投稿したいと思います。
ヒーリングで有名な「スギライト」 の「愛」についてお話したいと思います。
photo credit: Sugilite (Hotazel Formation, Paleoproterozoic, 2.2-2.3 Ga; Wessels Mine, Kalahari Manganese Field, Northern Cape Province, South Africa) 1 via photopin (license)
鉱物のお話は久しぶりです。
「スギライト」と言いますと、様々なサイトにて、こうした紹介がされています。
- 「最高のヒーリング石」
- 「サイキック能力の開発」
- 「愛の石」
- 「シャーマン石」
私は、鉱物を語る際に、実体験を元に感謝の想いを語りたいと思っています。
「スギライト」の最大の特徴は、「愛」と言えるでしょう。
私が「スギライト」を初めて購入したのは、御徒町にある「バイオス」という鉱物店でした。
単純に、「スギライト」に惹かれていたのです。
しかし、なかなか購入する事が出来ませんでした。
市場に出回っている数も少ない頃でした。
この石は、持ち主を選ぶとも言われます。
私は、やっと少しだけ選ばれたのかもしれません。
さて、肝心のお話に移ります。
「スギライト」の「愛」についてです。
「愛」と言いますと、人間関係の「愛」を思い浮かべるものです。
「スギライト」という鉱物が「愛」を教えてくれるなど思いもしないでしょう。
私がスギライトを持っていて感じる事は、この鉱物はあまりにも「鉱物」であるという印象でした。
特に面白味も無く、水晶やリチア輝石のような、解りやすい透明さや、はっきりした波動のような感じを受けないからです。
最も沈黙にあふれた鉱物だと感じていました。
この「スギライト」が市場に知れ渡った頃は、同様に「アゼツライト」や「ダンビュライト」なども流れ始めました。
「アゼツライト」に関してはインチキかもしれませんが、「ダンビュライト」は解りやすい石です。
しかし、「スギライト」に関して言えば、特に大きく関心を感じる事はありませんでした。
何故、この鉱物が21世紀における最高のヒーリングストーンと呼ばれるのか、呼んだのか、まったく解りませんでした。
商売上の宣伝文句かもしれませんが、悪い噂も聞きません。
そんな感じで時は過ぎてゆきます。
もう「スギライト」を熱心に欲しがる方は少なったのではないでしょうか。
私が南アフリカ系のお店で見かける「スギライト」は単価が高く、物も小さい為に購入する気持ちになりません。
産出量も減っている為、良質な「スギライト」が市場に出てきません。
しかし、私は出来る事なら「スギライト」を持たれると良いと思っているのです。
この「スギライト」こそ、私の経験上で知りうる最高の「現実石」です。
よく「グラウディング」という言葉を聞きます。
これは大地にしっかりと足をつけてなどの意味ですが、私からすれば、これでも不足です。
本当の「グラウディング」とは、「抽象的な概念」を突き飛ばした現実の事です。
とても解りやすく言えば、「パワーストーン」という「抽象的な概念」を吹き飛ばす事です。
人間は「抽象的な概念」を常に思い浮かべて、日常と一致させて生きています。
こうした「抽象的な概念」が悪い訳ではありません。
しかし、この「抽象的な概念」は「特異的な宗教団体」や「特殊な政治、社会的団体」などを作り上げてしまいます。
もしくは「博打事」や「変質狂気的な恋愛」や「猟奇的な発想視野」など、日常とは違う不自然さを作り出します。
日常とは違う不自然さを作り出す理由は、日常には存在していない「抽象的な概念」に魂を置く事で安心感を得ているからです。
そのため、非日常の中に変質的な「抽象的な概念」が作り出されます。
私は「スギライト」を所有してから、特にこうした「特異的な抽象的概念」から離れてゆきました。
photo credit: 14.60ct 14 x 24mm sugilite cab via photopin (license)
「スギライト」を所有する事で、例えば「お金の大切さ」や「宗教の在り方」や「社会の異常性」など、こうした事に「現実」を当てはめて接するようになりました。
今までの「現実」には考えられないような「お金の推移性」、「宗教へ依存する思考の異常性」、「社会の道すじのない変異性」など、特に感じるようになりました。
本来、現実の世界には、現実を動かす「理性」や「悟性」や「常識」と言われる感性が動いています。
それらのエネルギー源が「愛」です。
「愛」とは「無償の愛」などと言われるように、無尽蔵の良質な思考性を秘めています。
この「思考性」は、様々な社会的福祉活動の動力になるでしょう。
そして、決して「不自然な抽象的概念」的な思考性に陥る事はありません。
例えば、無理に自分を犠牲にして他者の為に「お金」を寄付するなどです。
その理由は、現実を強く理解しているからです。
現実に着手した感覚が、最も目に写るのです。
もしも「家庭」があるのであれば、そこに「陰湿な思考」や「悪口」ばかり思い浮かべるのではなくて、ただ人間がそこにいて、そこに活動している。
そして、お腹が空いているのであれば、食べ物が必要だ。
食べ物を買ってこよう。
それは「理性」であり、現実的な「愛」の在り方であるのです。
「ドラマ」や「漫画」、もしくは本屋に並ぶ「自己啓発本」に書かれる内容、もしくは「経済書」に書かれる日常性など、それに染まる事無く、私達という自我が現実に体感する事実を感じさせ、そこにある当たり前の「愛」を理解させてくれる鉱物が 「スギライト」であると思っています。
だからこそ、これ以上に「現実」に則した鉱物は無く、これ以上に「愛」を理解させてくれる鉱物を知らないのです。
この「現実」と「愛」は、この世界に漂い続ける不毛な「不自然な抽象的概念」を排除して、本当に私達が、自分と言う存在者で有る事を理解させてくれます。
また同様に、他者を絶対的な他者である事実も理解させてくれます。
そこには常に「現実」という世界を体感させて、無尽蔵の「愛」という現実に気付かせてくれます。
この「自然」の「愛」を常に身に着けて生活できる感謝を、今回は述べさせて頂きました。
ちなみに、「スギライト」はミネラルショーなどで、南アフリカ系のブースで取り扱っています。
もしくは、鉱物屋のおじさん達から買うのが宜しいかと思います。
値段はやはり高いですが、まさかの偽物もあります。
確実な場所で購入される事が宜しいと思います。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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