こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。
「原子力発電所」について、少し書きたいと思いました。
photo credit: Koeberg via photopin (license)
「オルタナティブ・テクノロジー」という投稿でも、少し触れた所です。
http://mahakara.blogspot.jp/2015/01/blog-post_18.html
私は小学生の頃ですが、かなり偏った原子力教育を受けました。4年生から6年生までの間、担任教師が同じでして、常に原爆の脅威を植えつけられてきました。
常に、被災された方々の写真や心情が手に届くところにあり、夜も眠れない日々がありました。
しかし、私は「プルトニュウム」の発見に伴う、それは科学者の知恵と努力に感嘆する所も、大いにあります。
これが有効に使われれば、大変に有難い事であるはずです。
この二面性をもった「パワー」こそが、私の中にある「原子力発電所」になります。
ただしかし、デメリットの部分が大きいわけです。
端的に申しまして、最大のデメリットは「人間」が携わっている部分です。
これは「ロベルト・ユンク」という方が話していることですが、現行の各施設内で、人間が関与しない部分はありません。
機械が全て、核燃料の採取から運転、危険の確認、核燃料の取出しから運搬に至るまでを行える訳ではありません。
必ず、人間が作業にあたります。
故に、「原子力発電所」には従業員がある訳です。
問題は、人間が完璧な存在ではない事にあります。
人間の判断(脳)は、実はいい加減です。
脳科学の本を読むと解ることですが、「脳」は「サボリ癖」があります。
故に、適当に「錯覚」を見せます。
しかし、私達は、その錯覚を慎重に判断した結果と思い込みます。
つまりですが、人間は都合の良い場所に落ち着こうとする習性があります。
こうした人間を排除して、機械が機械の判断で、機械的に判断して運用できれば、「原子力発電所」には大変なメリットがあるはずです。
しかし、これが出来ない現状ですと、それは交通事故などが多発する人間の社会を防ぐ事ができないのと同様に、デメリットの産物になりかねません。
実は、私自身は「原子力発電所」の運営については、ある程度は賛成でした。
今も、やはり変わらない部分もありますが、デメリットが大きすぎるのが難点です。
この「原子力発電所」を所有している事は、同時に「原爆」を所有しているのと同じ事です。
日本が「原爆」を持っている事を悪い事とは思いませんが、「原爆」を盗みたい人もいるでしょうし、火をつけてみたい人もいるでしょう。
結局は、所有していれば、危ないのです。
かつて「ソビエト」が崩壊した時に、この問題が上げられました。
「原爆」を維持するとは、コストがかかる事なのです。
その維持は、機械ではなくて、人間が行うのです。
あなたの知らない隣人が行うのです。
その隣人がコストを考えて、さらに安い隣人に任せるかもしれません。
そうなると、責任者とは、目に見えない空想事を管理しているに過ぎなくなります。
つまり、危ない訳です。
私には、純然に健康的な「原子力発電所」の運営がなされているようには感じません。まるで、サバイバルでもしているかのような錯覚を感じます。
「原子力発電所」の運営がゲリラのような、サバイバルのような、付け焼刃的な判断で運用開始宣言がなされている錯覚を受けるのです。
つまり、「ロベルト・ユンク」が話していますように、この「原子力発電所」に関しましては人間が関与しない部分は無いのは元より、何故か危ない方向を感じさせるのです。
この時点で、デメリットを誘発します。
ただ、私はそれでも「プルトニュウム」の発見に伴う、科学者の知恵と努力による 「原子力発電所」の存在には有難さを持っています。
そして、デメリットが誘発した際の被害も理解はしています。
現時点で、「原子力発電所」の運用観察を国家に任せるだけでなく、その地域に暮らしています住民の方々にもご協力頂く事が寛容かと思います。
この考え方は、東日本大震災後に感じた事です。
例えば「募金活動」による収益は、「赤十字」に送るのではなくて、漁業組合などの組織に直接送れないものかと感じていました。
間違いなく、募金活動による支援は、あまり実を結ばない気がしておりました。
そこに暮らす方々に直接資金が流用しないと、米などの物資が闇で流通していた、かつての敗戦後の日本の「闇市」のように活気づかないからです。
誰かに任せると、必ずこうなります。
私は、「原子力発電所」の存在に有難さを感じています。
デメリットが大半を占める存在ではありますが、その場所にある以上は、名前的に専門家ぶった人達や、意識的に地位の高いと感じる人達に任せないで、もう、地域の方々で見回って頂きたいのです。
勝手な言い分ですが、学校のPTAと同じです。
その地域で発生している安全を守る行動をしている訳ですから。
ただし、「原子力発電所」に変わるエネルギーがあるのなら、早急に「原子力発電所」の運営を止めるべきであると思っています。
くどいですが、人間が関与せざるを得ないエネルギーですが、デメリットが計り知れないからです。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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