ヘーゲル 観念の弁証法 簡単に説明します。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「哲学カテゴリー」にて投稿したいと思います。

「マルクス」が大ファンである「ヘーゲル」について書きたいと思います。

 

ドイツの哲学者(1770年8月27日~ 1831年11月14日)です。

 

 

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photo credit: Hegel-Büste auf HU-Campus via photopin (license)

 

まず、哲学上の大巨人です。

そして、ヘーゲルに熱狂的な方々は絶えません。

マルクスが、その1人です。

 

 

さて、この世界は誰が作ったものでしょうか。

太古の人達なら、「神」が作ったものと答えたかもしれません。

その理由は、自然が人間の生活を凌駕する存在であり続けていた為です。

 

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photo credit: Cosmos via photopin (license)

 

 

 ならば、「神」とは何であるのでしょうか。

長らく、万物の創造者として存在し続けて、我々を支えてきた事でしょう。

 

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photo credit: Romania-1926 - Panel of Mary and Jesus via photopin (license)

 

ヘーゲルは、こうした人間が讃える存在の在り方を一変させます。

 

「全て理性から出来上がっている」と答えたのです。

 

私たちが「神」という絶対者の存在を「理性」とするヘーゲル。

 

ヘーゲルは「神」の存在を、私達の中にある「絶対精神」、つまり「理性」である、という言い方をします。

絶対的な精神である理性が「弁証法」によって、自己発展して、世界が生まれ続けると考えます。

 

「弁証法」とは、世界が「変化」「運動」「発展」の3つの事柄で構成されていて、その活動元となるのは、矛盾による「対立」や、それによる「抗争」の為ですよと言う事です。

 

「弁証法」については、申し訳ありませんが、こちらをご覧下さい。

http://mahakara.blogspot.jp/2015/05/blog-post_22.html

 

歴史を振り返りますと、太古の時代の「共和制」。そして「奴隷制」があり、「封建制度」が生まれ、「資本主義社会」が誕生しています。

 

この歴史の変化は、どのように発生したかと言えば、もちろん「弁証法」が関係しています。

例えば、「奴隷制」が変化したのは、それが嫌になった、葛藤があったり、対立が発生したりした結果、問題が解決される道筋を見つけたからでしょう。

 

この変化に対して、「神」は介入していません。

あくまで、人間同士の理性が絡み合って、問題の解決を見ています。

 

 

あなたと言う個人は主観的な存在です。

あなたは、別の存在である、社会と言う客観的な存在と向き合って生きています。

「主観」と「客観」という存在が、絡み合った世界に生きている訳です。

 

この「客観」である社会が、ある時に「消費税20%アップします」と言ったとしたら、あなたは「ふざけるな」と思うはずです。

きっと、あなた以外の方々も怒りが膨れ上がることでしょう。

 

ここで「弁証法」の登場です。

「弁証法」とは、世界が「変化」「運動」「発展」の3つの事柄で構成されていて、その活動元となるのは、矛盾による「対立」や、それによる「抗争」の為ですよと言う事です。

 

ここで言います「矛盾」とは「消費税20%アップします」であります。

そして、社会という客観に対して「対立」や「抗争」が生まれます。

 

きっと、社会という客観は、「ふざけるな」と思う方々の「運動」により、「変化」を起こし、社会に新たな「発展」を起こす事でしょう。

 

人間の歴史は、この人間の「観念」の弁証法の繰り返しにより、絶えず「変化」と「発展」を継続させて社会を形成しているのです。

 

そして人間は、その存在を維持する為の「哲学」や「芸術」や「宗教」を求めます。

それは、この社会の基盤の上にあるもので、「絶対精神」である「理性」が広がっている訳です。

 

 

ヘーゲルは人間の世界を、こうした「観念」の弁証法によって成立していると考えていました。

ただ、良く言われる事は、「観念」であり、そこには「実物」が薄いわけです。

 

「実物」が薄いと、現実味が無いわけです。

 

これに現実味を持たせたのが「マルクス」と「エンゲルス」です。

「唯物弁証法」と言います。

 

ヘーゲルの観念弁証法を簡単に説明してみました。

あらゆる現象は「観念」が関係ています。

私達の周りに広がる自然ですら、今では人間のコントロールできる存在になりました。

つまり、自然も人間の「観念」の一部となり、扱われる存在になっているのです。

「神」の扱い方も、「観念」が関係しています。

いかにも、近代哲学らしい考え方です。

 

人間が人間として独立した存在を確立する為のエッセンスを、たっぷり感じます。

ただ、私が書いていて思うことは、人間が幸せになる為のエッセンスに欠ける事です。

結局、これを知っても、今食べる物もない方々を救う知恵をまるで感じません。

 

ちなみに、この不満を改善しようと生きたのがマルクスでした。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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