こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「哲学カテゴリー」にて投稿したいと思います。
よく親御さんが、しきりに「子供」に対して怒っている光景を見かけます。
「子供」さんは大泣きしてしまいますが、もう「大人」の言っている事も解らない時があります。
もう、自分の都合が混じってしまい、「子供」が大変だなぁと感じてしまうのです。
こうした「言ってる事が解らないの!」という事は、「大人」が「大人」に対しても、同じように行っています。
あるお店で、「おじいさん」がお買い物を済ませようとしていました。
そこで店員さんが「割引になる会員入会」を勧めていました。
その間、「おじいいさん」は言われるまま「会員手続き書」を書いていますが、「身分証明書」を持っていませんでした。
すると店員さんが「え、身分証明書を持っていないんですか。持っていないと困るんですが」と言い始めていました。
「おじいさん」からしたら、言われるまま「会員手続き」を行ってしまったのです。
店員さんからしたら、「言っている事が解らないの!」という困った様子でした。
とにかく、「言ってる事が解らないの!」といわれても、怒鳴られても、解らない事は解らないのです。
世の中の常識として、「注意」されれば、改めようとします。
それは、私やあなたが学校や社会で教えられてきた、「言葉」をメインとして伝えようとします。
そして、「言ってる事が解らないの!」という感じで教えられてきましたし、私もあなたも同じように誰かに接してきたかもしれません。
それは、そのように教えられて、それが当たり前のように流れてきたからです。
アメリカUCLA大学の心理学者で「アルバート・メラビアン」という方がおられます。
この方が1971年に提唱した概念が「メラビアンの法則」と呼ばれるものがあります。
この図が示しているのは、人間に対して情報はどのように伝わるのかという事です。
「視覚情報55%」「聴覚情報38%」「言語情報7%」と言う結果から、「言葉」による理解を促すことが、いかに伝わない事であるかが解ると思います。
例えば「レモン」という言葉を聞いたとき、あなたは「レモン」という言葉をどのように理解しますか。
間違いなく、「レモン」という実物を想像するはずです。
「言葉」ではなく、実物としての「レモン」を確実に想像するはずです。
「言ってる事が解らないの!」と子供に対して叱っても、「おじいさん」に「言ってる事が解らないの!」と言葉で求めても、理解できないはずです。
こうした事が理解できていると、感情的になって「言ってる事が解らないの!」と怒鳴る事も少なくなるでしょう。
何故なら、「言ってる事が解らないの!」という事が、相手に伝わるはずがないからです。
私はブログのどこかですが、「具体的に相手にイメージとして伝わるように話す事が大切」と書いた記憶があります。
人間という存在は、どうしても「イメージ」を先行して動いてしまいます。
これは「メラビアンの法則」からも解る事です。
どれだけ、相手に「イメージ」を促して、相手もその状況をイメージ出来て、初めて「言葉」が通じ始めます。
「言ってる事が解らないの!」と親御さんが「子供」に怒鳴っても、「子供」には親御さんの気持ちを理解は出来ないはずです。
そこには「恐怖」が先行してイメージされているはずです。
その為、その怒鳴りは「道徳的」な道すじになる事は稀でしょう。
私は、このような「負の遺産」のような出来事は、無くして行きたいのです。
これは私の精神の内の事ですが、やはり執拗な「粘着物」のような「陰険」な記憶が残っております。
これが、私の中で「涙」を誘うのです。
途方もない「涙」を誘うのです。
このような経験状態は、私に限らず、もしかしたら「あなた」も含んでいる事かもしれません。
この精神の内にある「陰湿」で「執拗」な「粘着物」は、さらに伝染させるかのように他者に対しても広がりを見せます。
世の中は、格段に様々な思想や知識が席巻しました。
出来る限り、私達の生活を潤わせる方向に使う事が、正しいはずです。
「メラビアンの法則」についても、どうぞ記憶に留めて頂けると幸いです。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
0 件のコメント :
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。