こんにちは。本来なら文献でも見つけてブログに載せれたら良いのですが、どうやら、その文献の多くを捨ててしまった事が解りました。
うーん、困った。
私が学んだ事を書き残したいのですが、今回の投稿は誰の言葉であったのかも正確にできません。そこで、今回の投稿は、私の頭の中に残っている「響き」のような記憶を書き綴ろうと思います。
「文化」という言葉ですが、特に有名な方は「クロード・レヴィ・ストロース」という方です。この方が現れた事によって「文化が人間を支配している」ような考え方が出てきます。
人間が自分の、 もしくは集団の意思で活動していた現実は、どうやら違っていて、そこには「構造化」された「文化」という存在があったらしいです。
そこでですが、通常の我々の世界ですと、当たり前ですが「国境」というものがあります。
この「固有文化」の区分線のようなものは世界中にあります。もちろん、未開の村々にもです。
その区分線を越えたらどうなるでしょうか。
普通は警察に捕まったり、国によっては国境で銃殺されたりしますよね。何故、そんな事が起こるのでしょうか。
もし、これが当たり前だ!と思えるなら何故、そうです。誰にそう思わされているのでしょうか。
私たちが普通に生活している行動などの振る舞いは誰に教えられましたか。普通は両親ですと答えるでしょう。
しかし、その両親を操作する存在は何でしょう。そうして考えを辿ってゆくと、ある存在に気づきます。
それこそ「文化」です。文化とは、そこに生活する人間を支配する巨大な存在です。
「文化は相対する他の文化を排除する構造がある」と誰かに教えて頂いた記憶があります。
それは、当たり前の事でしょう。そうしないと、自分本体が崩壊してしまいます。これが、「紛争」が起こる原因だと思います。
誰も、紛争を行いたいとは思っておりません。しかし、紛争が起こる原因は、今ある「文化」の中に、別の「文化」が入り込んだ時に起こります。「排除」が働くのです。
それは個人の思想なではなく、自動的に文化という構造に組み込まれたデータが起動するかのようにです。
人が殺し合いを続けて、しかしこれが収まる事がありません。
グローバルが動き出した際に、紛争が発生する理由はここにあります。
もはや、「意思」や「感情」では歯止めが効かない、どうしようもない状態が発生してしまいます。
次回にクロード・レヴィ・ストロースの有名は「例」を上げて投稿したいと思っていますが、この文化の動きは世界中の文化で同様に稼働します。
「隣国批判」であったり、国内の反思想家の追放であったり。
どんな尊い世界中の文化も、そこに生活する人間を支配して自分という文化を守ろうとする構造があります。
しかし、その構造のおかげで人間は社会生活を行うことができます。
しかしです。その「構造」とはどれだけ正確なのでしょうか。
実は、どんな構造社会でも「とんでないやつ」が出てきます。
例えば、教会でミサの最中に居眠りをしたり。
これは何故?ですが、クロード・レヴィ・ストロースも認めていたと思います。やはり、「儀礼」の最中で別行動をとる人が出てきたりと。
この構造体が完璧ではないのでしょう。
いずれですが、そんな疑問も考えてみようと思います。
ザーっと書き綴らせて頂きましたが、こんな思想や考え方を少しでも見て頂けると、きっと何か日常の考え方に変化があると思います。何故なら、面白いではないですか。人間とは別の文化構造の存在がある。と言う事は、あらゆる分野に構造は存在している事になる。例えばファッション、心理学に社会学。などなど。
最後まで目をとうして頂き、有難うございました。
0 件のコメント :
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。