クロード・レヴィ・ストロースです。
もちろん、知っている方以外は誰?と言うでしょう。
この方は、比較的最近の方です。
構造主義における文化人類学を打ち立てた方です。
( ┓(゚Å゚ ) ┏ 何!意味が解らんぞ!・・・)
photo credit: pepa garcía via photopin cc
まぁ、 私もこの偉人の著書を隅から隅まで読んではいないので、掻い摘んで必要かな?と思う所を記憶に残しています。
特に、前回「私の記憶にある文化」について終えた続きであり、「へぇー、そうなんだ。」と何か感じて頂けいると幸いです。
「近親相姦」というものがあります。
おそらく、多数の人はこれを嫌がると思います。私もそうです。
ところが、この 「近親相姦」はどの文化でも避けて見られます。
それはイギリス、オランダ、ブルガリア。さらにマサイ族等です。
普通、我々が「遅れてるー」と思う文明も、同様に「近親相姦」を嫌います。
これは、普通ですと「道徳的」とか、「宗教的」にタブーだ!と言葉に表すのが一般であると思います。
しかしです。前回の投稿で「文化が構造化されている」のような事を書きました。
それは、誰が作成した文化であるか解りません。
しかし、文化は構造を持っています。
もしもです。 「近親相姦」がOK!である文化があるとしたらどうでしょうか。そうすると「社会」に参加して生活する人間の活動が委縮してゆきませんか。閉じこもる社会生活が出てきませんか?
クロード・レヴィ・ストロースはこのように、あらゆる文化には構造があり、それが人の世であると言います。
我々が「遅れてるー」と思う文明も、私たちが生活している文明も違いがないのです。同じ構造を持っています。
文化はその文化を維持する為に「近親相姦」をOK!とはしていません。別に、道徳や宗教が人間を取り込んでいるのではないのです。
これこそ、クロード・レヴィ・ストロースの重要点であると思います。
21世紀の学問であると思います。
宗教による洗脳、道徳による差別等。言葉は安易に理由を作り、現実に体現する力を持ち、それを当然と思う者こそ人間です。
そんな事よりも大事な事は、原因に対する理由は構造を持っていると言う事です。
もし、我々が「遅れてるー」と思う文明があるのなら、違いとは何なのか。
うー、昼休みが終わってしまう。
次回に続き感想を書きたいと思います。
少しでも、こんな投稿が目を通して頂いた方のお役に立てれば幸いです。
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