こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。
人間は誰でも「絶対的」な力を、どこかで信じているものです。
それ故に、「権力」のような力に倒れ伏すものです。
もしくは、通常であれば人間は、弱い心を持っているものであります。
それ故、その弱い部分を叩けば、崩れ落ちるものです。
これは、私が当然のように思い込んでいた事実です。
ところが、実はそうではない事に気付き始めるのです。
これは私が社会で経験した事です。
会社で、私の部下になったご年配の方々がおられました。
私自身は、あまり良い目では見ていませんでした。
その理由は、あまりにも「ふしだら」な点が多すぎたのです。
私が入った当時は、仕事の大半を「派遣社員」に任せておりました。
その派遣社員は、半年に1名という流れで退社してゆきました。退社の理由は、あまりに仕事の内容が多く、体を壊してしまう為です。
社員はと言いますと、決して責任ある仕事はしていません。
ただしかし、仕事を次々と「複雑化」してゆきます。
複雑化された仕事は社員以外は出来ません。奇妙なルールが決定されて、社員はそれだけを行います。
しかし、体を酷使しているのは「派遣社員」でした。
私が、この方達を部下にした時は、早くこの状況を打破する必要がありました。
まず、「会話」を持って接しようとしますが、「聞く耳」を持ちません。
いや、聞く耳を持っても、要求以上の事が出来ないのです。
若い派遣社員に数分で教えられる事が、何日かかっても無理なのです。
私は派遣社員を「社員」にしようと稟議を上げて、改革を進めました。
しかし、根太いのですが、このご年配の方々を擁護する方々もおります。
そして、その中の1名は「不満」を上げて話す事が、真実として、私の悪口となって広がるのです。
しかし、実際の所は会社としても、この方達は「不要」の認識が出始めます。他方で経験をしている派遣社員と協力して技術を取り入れ、私自身も伺いを上げて導入する「事例」が功を奏して、仕事がどんどん楽になってゆきました。
私や派遣社員(後の社員)が優れていたのは、外部の経験があったからです。
外部から取り入れられる事実を、今いる会社の流れに合わせていったのです。
その為、「自己」しか理解できない社員は、対応が出来なかったことでしょう。
わたしは「力づく」で改革を行いました。そして結果は生まれました。
これは、会社としては成功であったと思います。
ただしかし、ご年配の方々の「心」を変化させる事はできません。
そして、ご年配の方々は、私の部署からいなくなりました。
しばらくしまして、またご年配の方が1名入りました。
しかし、自分勝手な事をしてしまい、他工場からも批判が飛んできます。
もちろん、擁護しますが、実体は悪いと判断していました。
ある時、私が設置した用具類を勝手に他工場へ持ち運ぼうとしておりました。
それだけでなく、私の部下に説明したという理由で、勝手な行動ばかりを始めていました。
私が動くから待てと聞かせても、聞きません。
これまでの問題が発生している事を踏まえて、止めるように説明を行いますが、まったく平然として、止める事をしません。
仕方ないので、胸ぐらを掴んで振り回し、にらみを利かせても、反応がありません。
彼の話ですと、私と私の部下が話し合って、彼の仕事を改善しないから悪いという内容でした。
その改善を行わないから、彼は勝手に他工場へ指示を行い、物資を供給していました。
他工場がやり易くなり、自分もやり易くなるから、お前が責任を持てという内容です。
つまりはメチャクチャです。
通常、私の指示を待つべきです。
こうした場合、ルールを設定したり、会社内に通知等をしておかないと、もう手が付けられなくなります。
勝手な事をしているのですから。
(いや、クビです。)
私には雲の中に手を入れて探るようなものです。
彼の仕事は、彼しかわからないものです。
それが飛躍すぎているのです。
何故、こうした事が起こるのか。
私の心の中では、人間は「絶対的な権力」や「強引な力づく」で、どうにも出来ない時には解決するものであると思っていましたが、やはり無理である事に気付かされました。
いかに「キレ」て、殺てやろうとぐらいに相手の目を見ても、相手の目に「心」が見あたらないのです。
「心」がない相手には、何も通用しません。
私は、しみじみと感じました。
私達は人間として生活を送っていますが、全ての方達が同様に「心」を持っている訳ではありません。
そうした方々に「力づく」で解決をしようとしても、まったく無駄です。
ならば、「会話」を用いて「心」を探ろうにも、「心」が無いのです。
本当に嫌な事ですが、怒鳴って、相手の目を覗き込んで、そこに「心」が見当たらないのです。
だからこそ、「勝手」な行動を始めてしまうのです。
勝手なルールを作り、後始末が出来ません。
こうした経験から、私は考えて頂きたい事があります。
この世界には、実はどんな「絶対的な権力」を見せびらかしても、まったく反応しない人間がいます。
そして、たとえ暴力を受けても、やり返そうとはしません。
すると、この人間とは何であると感じてしますが、端的に申し上げますと「誤った良心」が育てられた結果です。
この「誤った良心」とは、「自分の都合に良い、社会に座って、実は隔離した存在」です。
いかに言葉をかけても、理解ができません。
「心」が偏り、そして固まっている為、どうにも出来ません。
私はこの経験から、「力づく」には限界があり、この方法では物事が動かないことを知りました。
では、世の中に一般的に普及している「道徳」は通じるかと言いますと、これも通じません。
その為、多くの派遣社員が体を壊し、退社してゆきました。
実は、私は仕事の多くを派遣社員の方々から教えて頂きました。
理由は、社員が仕事を教えないからです。
いや、私には聞いても、言葉として理解が出来ませんでした。
本当に、当時の派遣社員には申し訳ない気持が残っています。
しばらくして、派遣社員が入ってきました。
その時、聞いた言葉があります。
「こんなに過ごし易い職場は初めてです。」
こうした言葉を聴くと、私は救われます。
この派遣社員は辞めてしまいましたが、良く仕事が出来ました。
「力づく」で上から押し付けることなく、自然と悠然に仕事をして頂きました。
大変に感謝をしております。
人間の世界には「力」という概念が存在しています。
その「力」は、つまりは「神」のように絶対的な象徴でもあります。
しかし、世の中は決して「力」で支配は出来ません。
そう考えている人達とは、この世界が「人間」の世界であると思っている人達です。
しかし、この世界は「心」のない人間も生活しているのです。
決して、「力」だけで支配する事は出来ません。
また、「力」だけで支配できると思い込んでいる事も、怠慢です。
「力」には限界があります。
それは、日々の生活に努力して、「キレ」る人であれば、解るでしょう。
「キレ」た先には、それ以上の力は無いのです。
そんな世界に、私達は生活をしているのです。
「力」に対して「力」で挑んでも、答えが出ません。
「心」を探っても、「心」が見当たりません。
だから思う事ですが、「良心」を育ててください。
昨年の1月、私がブログを始めたばかりの頃に投稿した内容です。
ソクラテスの言葉 「良心」
人間には、本来は誰にも「良心」が備わっています。
理屈ではありません。
この「良心」があるから、人間は共通に理解しあえる事が出来るのです。
そこに、感動して生活を行える場所が出来るのです。
「良心」が大切であり、それを見続けることは、本当に大切ですよ。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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