こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「日記カテゴリー」にて投稿したいと思います。
人の意識というものは、唯一変化しないものであると、何かの本で読んだ事があります。
私達の身体は、年齢を重ねるごとに年をとっています。
これは当たり前の事ですが、「精神」について感じる事は、それとは違うことを感じます。
年齢の高い方でも、「精神」は若くハツラツとしている方も大勢います。
私達の世界では、決定された「現象」が動き続けています。
規則正しく、動き続けています。
その為、「精神」すら衰退するように感じてしまいますが、決してそうではありません。
「精神」に関しても、他の現象と同様に、そのように思い込んでいるのです。
最近、久しぶりに「神田」から学生街を歩いてきました。
その時、学生とはこんなにも子供であったかと思いました。
体格も服装も、子供に見えたのです。
就職氷河期と言われた世代なら解ると思いますが、進学もまた、氷河期でありました。
その為、私の周囲には、年齢をかなり重ねた方が進学できずにいました。
また、常に就職を志していました。
おそらく、今だにその「使命感」と言いましょうか、時代の風に追い立てられたままの方々がいる事でしょう。
ただ、そのプレッシャーとは、実は、私が子供に感じた学生達の存在と、同等の世界に身を置こうとする行為です。
私には、それは出来ません。
ただし、こうした「使命感」のような留まる感覚は「精神」が留めさせてるに他ありません。
その「精神」を留めさせる正体は、「潜在意識」であり「左脳」であるでしょう。
この「現象に停滞させよう」とする機能は、現実の世界に生活するには欠かせない機能ですが、自分の視野を誤った場所に置き去りにしはならないでしょう。
この「置き去り」にされた方々の精神には、「落ち着く先」が見当たらない事でしょう。
「佐藤 優」さんが書いた著書に「 人間の叡智」があります。
その中で、次のような事が書かれていました。
日本が明治を迎えた頃の時代は、今の時代のように様々な情報がありませんでした。
そこで、とにかく外国の知識を導入する為に、「知識獲得優先」で「官僚化」を進めました。
この名残が、今だに続いています。
官僚になる方は諸外国の方と違って、例えば「資格」などを意外と有していないようです。
逆に、諸外国の官僚は「資格」などを有しているようです。
「実務」よりも「詰め込み知識」が優先な風潮が、残ったままなのです。
このような状況下の風潮に意識を留めておくことは、「誤った事」である事は周知していても、こうした世界から抜け出せない訳です。
それは「精神の縛り」を感じてるからです。
人間の体は「成長」してゆきますが、「精神」という存在が受ける感覚は、年齢を問わず、同じものです。
その為、過去の経験を「過ち」であると感じていても、それを取り去る事が出来ません。
その最たる理由は、「結果」として現実に現象を作り出してしまったからです。
「精神」という存在を縛り付けている原因には「倒産」や「経営破たん」や「結婚詐欺」や「失恋」や「暴力」や「嘘つき呼ばわり」など、いくつもの現象が結果として現われ、その方々の精神を縛り続けているでしょう。
人間の思考は、今生きている世界を当然として、そのバランスの取れた世界に身を置く自分を理解しようとします。
その為、そのバランスを崩す出来事が発生した場合、それは自分だけの問題ではなく、自分が属している社会にあってバランスを崩すことである為、失敗を避けようとし続けます。
そして、あくまで自分の目に写る世界で、その逃避(解決)を続けます。
その「逃避(解決)」が「精神の縛り」である訳です。
ただ残念な事に、その「逃避」を解決する方法はありません。
理由は、その「時間」と「場所」に発生した「現象」は、もう二度と復元は出来ないからです。
私達の体は年齢と共に変化してゆきますが、その「現象」を見続けている「精神」は、ずっと止まったままになるのです。
これは「ボランティア」を行っても「宗教」に入信しても、解決できる問題ではありません。
逆に、そんな事をしたら、すっと「精神」に残ってしまいます。
私は2つの提案ができます。
1つ目は、自分の人生で「成功」した経験を常に思い出し、大きくしてゆくのです。
これも何かの本で読んだ事ですが、これは有効です。
自分が縛り続けている「精神」の世界の視野とは違う場所を見続けることで、開放されるでしょう。
自分の見続けていた世界が「誤ったもの」と理解して、潜在意識が自分に必要な「良い思い出」の世界にシフトした生き方に導いてゆく事でしょう。
また、「プラス思考」の自分から、自分自身で「マイナス思考」を判別できるようになります。
その為、自分に有効な「精神状態」を選択できるようになります。
2つ目は、あくまでこの世界は「右脳」が見せるイメージの世界であると捉えます。
この世界が「右脳」が見せるイメージの世界であると捉えて、さらに「左脳」が理論的に断定して見せているのが、私達の世界です。
そう考えますと、実は「精神」を縛る「左脳」の働きに付き合う必要はないでしょう。
「脳」が見せている世界を、特定して正しいと思い込んでいるだけです。
この世界が、まずはイメージから発生しているのであれば、「精神」を縛る存在は、イメージにすぎません。
自分が本当に良いと思う方向に進む事を拒絶させるイメージを、ただ捨てれば良いだけです。
「精神」を縛り付けて行き続ける事は、大変に息苦しく、体も病気がちになります。
考えても無理な事は、考えないという「禅」の道が、ここでは最も有効でしょう。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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