私が思う みんなの三足烏

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

カテゴリー違いかもしれませんが、「三足烏」について、投稿したいと思いました。

 

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photo credit: gullevek via photopin cc

 

一般的なカラスのイメージは、おそらく「怖い」、「凶暴」のような事を想像するものです。

ところが、私が知っているカラスは違います。

カラスは利口で、人になつき、親しみを持てる存在です。

約2年ぐらい、カラスが生活の近くにありました。

 

カラスが、塀の所に止まっておりまして、誰かが、餌をあげました。

カラスも、それを食べました。

 

段々と私にも、警戒心をといてくれるようになりました。

次第に私だけではなく、通行人にも気を許すようになりました。

幼稚園に通う子供連れの親子がカラスを楽しみにしていました。

老婦人が散歩がてら、カラスを見ていました。

その他にも、今までカラスとは無縁であった人達が、カラスに近寄ると、カラスは足元近くから逃げないのです。

多くの方々は、不思議な経験をされたでしょう。

 

人間が、「ガーガー」と話しかければ、カラスも同じように話します。

もちろん、カラスが「○君」と話します。

人間の言葉を覚えるのです。

 

近所の猫がやってきました。

さらに、人間だけではなく、猫とも友達になりました。

その為、「ニャー君」と言うようになりました。

水浴びが好きで、バケツの中に水を入れれば、「ザブン」と入ります。

 

何故、この様な動物が嫌われるのでしょうか。

確かに、知性は凄いです。

例えばですが、どこからか餌を貰って来て、隣の家の庭に埋めていました。

たまに掘り返していましたが、この埋めた餌をネズミが食べるのです。

そうすると、ネズミが増えます。

カラスは、そのネズミを食べるのです。

こうした知性を持っている動物に、下手な細工は難しいです。

ゴミが荒らされるのを防ぐ為に、ネットをかけても、カラスは何とか外そうと考えます。これは猫が荒らせない程度で考えては難しいです。

 

猫は、餌を食べる時は、エサ箱の中に顔を入れます。

カラスは違います。例えば、エサを足で抑えながら食べていたのですが、疲れたのでしょう。木の枝にはさんで、食べ始めました。

そんな、木の枝を拾って「つみき」もします。

猫は、やらないでしょう。

 

さて、私はカラスが人間と生活を共に出来る事を知っている為、神話的な扱いをされる三足烏を変な風には受け止めていません。

過去には「聖なる動物」として扱われ、太陽と関連付けされている所もあるようです。

この太陽との関連が重要な位置を持っていると思います。

太陽を中心とする思想は強く、そこには「神」が存在します。

 

 

(画像は「高句麗」の壁画で、太陽の中心に三足烏があります。)

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File:Korean three-legged bird mural.jpg – Wikimedia Commons

 

 

私は、神と言う事ではなく、それ程にカラスが実は私達の生活に近くて良いのではないかと思うのです。

カラスが、周囲の方々に与えた影響は、かなりインパクトのある事でした。

きっと、カラスに対する意識は変わったと思います。

意識が変わると、ゴミを荒らされる為にネットをかけようとする行為にも、工夫が必要だと思うようになるでしょう。

私が思う事は、カラスがいた周囲の方々は、みんなカラスの顔を見たかったと思います。

カラスに関わった方々の心はウキウキしていたと思います。

それは、心が穏やかになる光景です。

 

故に、みんなの三足烏であったと思うのです。

 

ただ、残念な事ですが、こうしたカラスを嫌う方々も多いのです。

それは猫や犬を嫌うのと同じでしょう。

どうしても生理的に関わる事が出来ないのでしょう。

これは仕方のない事です。

 

その為、無理な話をしようとは思いません。

嫌われるような雰囲気を持っていても、その全ての個体が不気味な訳ではありません。

全ての個体が、人間を襲う事はありません。

カラスは危険な動物ではありません。

 

実は、野良猫が人間に助けられて生きているように、カラスも人になついて生活している風景が増えたら良いのではと思っております。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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