プラトンの言葉 「少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。」

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「思想カテゴリー」にて投稿します。

 

題名のとおりですが、「少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。」です。

 

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「少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。」

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プラトンの名言ですが、今世紀に入りまして、いまだにこの傾向が途絶えません。

 

いや、そんなことないよ!と思われるかもしれませんが、私が感じる「暴力と厳しさ」とは、そこに「勝手な正義感」や「妄想」を描き始める基本を作り上げる事です。

 

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若者たちが感じる格差社会の現実「社会人カースト」

http://president.jp/articles/-/18383

以下、抜粋

日本の学校教育は1990年のバブル崩壊以降、ゆとりと個性が強調されるようになり、若い世代は「自分たちは本来、平等であるはずだ」と信じて育ってきている。その間に大人の世界では「格差社会」がいわれ、階層化が進んでいるのだが、階層格差が明らかに存在し社会問題となっている諸外国に比べればまだまだだ。この言葉の誕生は、若者がリアルな階層社会に敏感になってきた象徴なのかもしれない。

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なんだ、当たり前だと感じる方もいるかも知れませんが、私にしてみれば、こうした思考を持つ少年が誕生している状態は、未だに「少年を暴力と厳しさによって教え込んだ結果」なのです。

 

「暴力」とは、決して「殴ったり」する事だけではありませんし、「厳しさ」は「罵倒」だけを意味するのではありません。

 

「自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる」という「道」を育てて上げる事が、世の中を教えてあげる方法です。

 

とても、世の中の「現実」を直視して自己の道「生命」の行く末を「自己が意識的」に受信して生きている文面ではありません。

 

 

自分の周囲に広がる世界を客観的に捉えてはいますが、ここに「自己」に対する「問いかけ」が見当たりません。

こう言っては何ですが、他人に対する問いかけは容易で合っても、自分に対する問いかけは容易でない傾向があります。

自分に問いかける傾向が減速すると危険です。

その理由は、客観的に広がる世界をつかむ事が事実(当たり前の事)と受け取り、本当に自分の魂で生きる事が出来なくなるからです。

 

なんだ、世の中、当たり前だと流す事が一番だよと話を流す人もいるかも知れませんが、私にしてみれば、こうした思考を常用化している世界が続く状態は、極めて危険なのです。

 

私達が生活する世界は、私達の周囲に広がる世界です。

そして、客観的に広がる世界は、基本的には「他者」の世界です。

 

「他」の世界だから、客観的な世界なのです。

この「他」の影響について、批判的になったり、信じ込んだり、つまり「同一化」し始めますと、間違いなく「大人の世界では「格差社会」がいわれ、階層化が進んでいる」と話し始めます。

 

最もこうした口調が典型的なのが「政治家」の選挙活動です。

本当に、諸問題を羅列して、解決策を述べていますが、それは教科書通りであきれます。

不潔感さえ、ひどく感じます。

 

この投稿を読んで頂ける方は、本当に少数派であると感じますので、私の思う気持ちを述べさせて頂きます。

 

プラトンが言っていますように、「彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。」なのです。

 

「彼」が興味を持つときには「ワクワク」するはずです。その「ワクワク」こそ、「マインド」である「心」です。

その「マインド」を「今」という現実に体現する為の方法を探る事が、一番大切な事です。

 

やがて、「彼」は「自分に対する問いかけ」を行うようになります。

この「自分の対する問いかけ」は、一般社会が教えているような「他者との比較」を教える事とは正反対のものです。

 

「他者との比較」を教えられた人間は、一生をかけて「他者」との競争や「比較」に時間を費やし、自己との対話の時間を失います。

「自己」が有効に使われないと、やがて「自己」は必要なくなります。

それは、やがて「痴呆症」であり「不治の病」につながると考えています。

 

この理由は「自己」を認めず、「自己」でない「他者の世界」を強烈に信じ込んだ結果に発生すると考えています。

人間が生きる上で、本当は「自己」が必要なのに、どうしても「自己」を省みない生き方を無理やりにでも「真実」として動き続けている為、「自己」が必要なくなり、「自己」が消滅し始める感覚です。

その時に、「病」は知らせているのです。

 

「痴呆症」や「不治の病」が発症すれば、今度は「薬」に頼るでしょう。

しかし、根本的な問題は、その「病」が発生する「精神的な活動」にあるのです。

それは、「自己との対話」の時間が抜群にかけていると考えられます。

 

世の中が悪いから・・・と嘆く以前に「自己との対話」を行い、自分の魂に気付き、毎日を笑顔で「リラックス」して生活する基礎が大切です。

 

 

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この世界に「世の中が悪いから」や「政治家が悪いから」という言葉がはびこっても、それは客観的「他者」の世界の言葉で、「自己との対話」から出た言葉ではありません。

 

まるで世の中の言葉を「プリントアウト」する事が正しいように、教育者は教えないで欲しいのです。

 

まず大切な事は「自己との対話」です。

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「少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。」

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今、こうした「自己」を軽視して、自分の国の方針が正しいから「賠償」を要求し続けていたり、つまり「自己」を持ち言えない方は多分に存在している事でしょう。

 

しかし、この生き方はまったく価値を失います。

「自己」を喪失して行きます。

結果的に、「他者」という客観的な世界から、離されてゆきます。

 

 

プラトンの言葉 「少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。」

 

「暴力」も「厳しさ」も必要ないのです。

真実は、しっかりと「彼」という「魂」が教えを与えます。

だから、大切な事は「ワクワク」する対象を発見する事。

それを現実に生かす「道」を教えてあげる事。

そして、「ワクワク」を失わないように「自己との対話」を教えてあげる事。

 

続けていれば、世界との間に「変な「垣根」」が無くなってゆき、「格差社会」がいわれ、「階層化が進んでいるのだが」とか言う事は、少なくなるでしょう。

 

何故なら、そんな事が「自己との対話」の中には存在していないのですから。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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