こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
今回は「神様カテゴリー」にて投稿したいと思います。
このブログのどこかで、現在の朝鮮半島の半分ぐらいは日本が領土として持っていたような事を書いた覚えがあります。
つまり、日本人が朝鮮半島に住んでいたことになります。
ところが、そうした事は学校で教えてもらえません。
別にかまいませんが、本日は大変な「女傑」のお話です。
朝鮮半島に位置した「新羅」を平定した女性のお話です。
File:EmpressJinguInKorea.jpg– Wikimedia Commons
この画像は、その「女傑」が「新羅討伐」の際にかぶっていた「お面」です。
その名も「神功皇后」です。
(古事記と日本の神々より転移)
「息長帯比売命」が名であり、仲哀天皇(第十四代)と結婚した後に、「神功皇后」と呼ばれるようになります。
「神功皇后」が端的にすごい所は、朝鮮半島の「新羅」を平定してしまった事です。
当時の朝鮮半島には「百済」と「新羅」、そして北朝鮮あたりから上の満州あたりまで「高句麗」という国家が存在していました。
また、朝鮮半島の南部に「任那」とう国があったようです。
この「任那」が、「新羅」によって「嫌がらせ」を受けていました。
別に他国の事なんて関係ないと思いきや、「任那」と「日本」は友好国でした。
また、「熊襲(くまそ))」(九州の南部にあたり)に対して「新羅」が手を伸ばし、日本の内部を混乱状態に持っていこうとしていました。
そいつは勘弁だ、我慢できない。
「仲哀天皇」と「神功皇后」は「熊襲(くまそ)」(九州の南部にあたり)に対して征伐を開始します。
ところがです。
「仲哀天皇」が「弓矢」に当たって怪我をしてしまいます。
File:Tennō Chūaii thumb.gif– Wikimedia Commons
一度、兵を引きました。
しかし、まずいことが起こります。
その傷が原因で「仲哀天皇」死んでしまいました。
今では考えられませんが、「神功皇后」が再度「兵」を引いて「熊襲(くまそ)」へ進軍を開始します。
ところが、「神功皇后」が「兵」をあげると「熊襲(くまそ)」は平定されました。
きっと、外交戦略が上手く行ったのかもしれません。
「山本寛助」のような人が、沢山いたのでしょう。
さあ、「熊襲(くまそ)」は平定しました。
次は、本来の目的である「新羅」の討伐です。
今回は以上にしたいと思います。
次回へ続きます。
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