こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「プチ神事カテゴリー」にて投稿します。
こんな時代だから・・・
そんなつもりで、高額な「お布施」をしてしまう人が絶たないかもしれません。
「あなたの家族が不幸になりますよ」
「これは神の道に通じる尊い事ですよ」
「これが真実ですよ」
どうしても、人間は「フェチ」な部分があるので、隙間をつかれたような真理には、つい心が揺れてしまうのものです。
そこに好奇心があるからです。
一般的に「お布施」とは、一定の金額を納める事でしょう。
しかし、基本的には「お布施」とは「お金」を納める事だけではありません。
仏教では「物施」「知施」「法施」の3つがあります。
この内「物施」は、良く見かける光景です。
「物」をほどこす事は、何より現実的に助けられます。
「デール・カーネギー」が良く言います「人の立場に立って考える事が大切」という言葉の通り、自分とは別の立場の人の事を考えられる事が、何より素晴らしい事です。
こうした「物」をほどこす事は、ほどこされた方にして見たら、言葉にならない感謝の気持ちがあふれます。
「人」を大切にする事は、その施しが「自分」に帰ってきます。
その「物施」が大きければ、それだけの「リターン」が見えますが。
ただし、世の中に役に立つように流す必要があります。
(一部の不明な教団に流す物ではありません。)
ところで、「物施」がない場合はどうしたものでしょうか。
おそらく、ほとんどの方はそうでしょう。
その場合は「知施」を与えるのです。
世の中は「お金」で解決できれば良いですが、全てをまかなう事はできません。
例えば、「引きこもり」の方に対して「1万円」で「健常者」へ変身する事はできません。
自分が接する方々に対して、適切な対応を行い、その方々が「良く生きる事ができる」という事が大切になります。
それには、その方々に「知恵」を与える事が、仏教では尊い行為になります。
よって、「物施」が可能でないのであれば、「知施」を行う事で充分なのです。
この「知施」ですが、ここだけの話、私はかなり成長させられました。
「縁起」の法則につながるのです。
他人が「苦しみ」や「解決方法」を見つけようとする際、おおよそは自分自身で解決する事は大変な事です。
その際、積極的に他者の解決を行い続けいていますと、他者の代わりに、他者が行うはずの「徳」を得てしまうのです。
前回に投稿した「品質管理」に関わる部門などは、その典型です。
だから、ますます、そういう方々は成長してゆきます。
本当は、この他者が自己の責任において「知施」を受けた時に行動すれば良いのですが。
それは広がる事が、本当に良い「知施」です。
「知施」とは「物施」と同等、それ以上の効果を私達の社会に及ぼす「縁起」になるのです。
さて、「法施」についてです。
これは「知施」がグレードアップしたものです。
つまり、世の中の「法則」的な真理を説く事です。
いわゆる「仏教」のお話しになる所でしょう。
そんな所で、「物施」「知施」「法施」の3つについて投稿しました。
つまるところ、このような回答です。
「お布施」について ・・・無理なら払うな!
払う金額が無ければ、払わなくても良いではないですか。
仏法が人を苦しめてはいけません。
無理な時に、無理をしてお金を出す必要はないのです。
「お布施」とは、本来は「縁起」を形成するツールです。
ただ、このブログを読んだ方は、ご自身の「知施」によって、関わる様々な方々を考えて、施しを与えて下さい。
最高の「お布施」です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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