アファメーションについて知っている事を書きます。

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

今回は「思想カテゴリー」にて投稿したいと思います。

 

カテゴリー的に「オカルト」を感じさせる言葉ですが、一応、世の中で思想の類として通用しております。

 

さて、この「アファメーション」ですが、要するに自分に対する「宣言」のような物です。

例えば、「私はお金持ちになれる資質をもった存在です。」とか「私は物質を超えた存在です。だから、物質を超えた存在を理解する事が出来ます」など、これを自分自身に対して「言葉」として言い聞かせる、つまり投影します。

 

この「アファメーション」は、実は有効的な暗示のひとつです。

 

とても単純に思えてしまいますが、その有効な効力を示す事が、これが「言葉」であるという事です。

 

私達は、自分の外側の世界を認知する時には「五感」を使用しています。

体感する事で、その情報を処理します。

例えば、美味しいご飯を食べている時には、味覚や嗅覚、そして視覚などを通して、脳に情報が処理されます。

そして笑顔があふれる訳です。

 

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さて、これが「言葉」であると、どうでしょか。

この「言葉」の都合の良いのは、目の前に美味しいご飯が無くても良いのです。

通常、「五感」とう感覚を通じて脳が処理する世界を、この「言葉」である「アファメーション」は、「五感」を関係なく、脳に処理を与えるのです。

 

「言葉」は「五感」とは関係なく、そこに「美味しいご飯」という実体がなくとも、脳にダイレクトに「美味しいご飯」という情報処理を行わせます。

これが、物凄い訳であります。

 

だから、占いなどを信じる方は、占い師の内容をダイレクトに脳で現実化してしまうのです。

人間の「五感」とは別に、ダイレクトに脳に伝わるのが「言葉」の大きな部分であります。

 

ただ、この「アファメーション」にも欠点はあります。

 

まず、「アファメーション」を行って自分に暗示をかけたい場合、徹底して「リラックス」していなければなりません。

 

これは「ヘミシンク」でも「サイコサイバネティクス」でも「気功」でも「ヨガ」でも「勉強事」でも、何で必要とされる事ですが、この「リラックス」を体得していないと、「アファメーション」は有効化されません。

 

つまり、人間には意識的に情報を守る機能があります。

簡単に「深層意識」に情報が到達できない様になっています。

その為、極力リラックスしないと、「アファメーション」が自分の中に入ってゆかないのです。

 

しかし、「アファメーション」の欠点はこれだけではありません。

 

例えば、「タレントのように輝き続けたい」と「アファメーション」を行っても、元々の素質が無ければ、出来る事ではありません。

 

人間は十人十色です。誰もが、それぞれの個性を持って生きています。

その為、その方に一致していない「アファメーション」を続けても、それを体得する事は難しいはずです。

 

例えば、「社会人になって、これから会社社会で立派になって両親を安心させるんだ」と口にはしていても、深層心理は違っている事が多いはずです。

 

それにも関わらず、「アファメーション」を続けても、必ず失敗するはずです。

真実も目的は、そこではないからです。

 

「アファメーション」は、誰にでも有効な特効薬であると思います。

 

健康である人間は、特に感じてはいないが、無意識に自分を「健康である」と思い込んでいるはずです。

美人の方は、無意識の中で「私は美しい」と思い込んでいるはずです。

 

この、無意識的に自分が「健康」や「美人」という情報を思い込んでいる生き方が、理想的な「アファメーション」であり、現実に有効化されるのです。

 

ところが、人間は誰でも悩みを持っているはずです。

 

そんな折、何とかその悩みを突破する為に「神頼み」したとします。

その結果、悩みは改善したとします。

これは「神様」のおかげでしょうか。

 

この答えは明確には出せませんが、きっと「「神頼み」をすれば悩みは改善できる」という「アファメーション」を、無意識の中に体現しているはずです。

おそらく、神に頼み込んで、リラックスしているはずです。

 

この「体現化」された空想も、現実なのです。

その為、悩みは改善しはじめるのです。

 

このように「アファメーション」は強力な道具であります。

 

もしも通用するのであれば、常にリラックスをしている事を忘れない事。

そして、その「アファメーション」が、ダイレクトに脳で処理されている事を理解する事。

その結果、たとえ空想に見える現実も、それは現実である事を理解する事。

その現実を常に持ち続ける事。

やがて、現実と現実の分別はつかなくなります。

自分が変わってきたと言う事です。

 

「良く生きる」という道具として活用して頂きたいものです。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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