こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。
表題について、書き残しておこうと思いました。
これは、こちらのニュースを見て、ますます感じた事です。
「尾木ママ、喪章付け講演 バス転落で教え子犠牲」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160118-00000018-kyt-l25
引用しますと、この講演では、「なぜ自分だけがいじめに遭うのか」と言うの相談を受けて、「いじめられる自分が悪いと思うのは間違い。いじめる側もストレスを抱え、弱い子に吐きだしている」と答えたようです。
その上で、「人を傷つけて喜ぶ人は幸せになれない。加害者にならず、仕返しもしない方がいいよ」と答えられたようです。
もう、全てが詰まった答えであると感じています。
つまり、他者に対して「建設的」な態度で接していれば、「いじめ」は発生しません。
これは「人に尽くす」という意味でもあります。
私達は誰も、完全に自分自身であります。
これは当たり前の事ですが、これを受け入れない方々が大勢います。
どうしても他者との比較を感じたり、後ろめたい気持ちになったりする人が多い事でしょう。
そして、世の中と自分を照らし合わせて、自分に対して厳しい態度で接する方も多い事でしょう。
世の中の常識を他者に押し付け、それに従えない人間を低く見る事が多いでしょう。
こうした要件は、「自分」という存在を本当には理解して生活していない方々です。
この世界とは、自分の世界とは、自分の内側から発生した世界です。
つまり、外部の影響が投影され続ける世界ではないのです。
何故か、この説明を拒否する方々が大勢います。
この世界は、どう考えても「自分」から発生しているイメージや思考で出来上がっています。
つまり、他人の想像上の世界ではないのです。
あくまで、自分から発生している世界なのです。
それにも関わらず、世の中の常識や道徳観念を真に受けてしまい、それが真実のように捉えますが、そうではありません。
あくまで、これらは生きる上での知識的な道具にすぎないのです。
その道具に心を奪われてしまうなら、その道具的な人格者を演じている事も気づかないで死んでゆく事になります。
本来、人間は自分の内側から見える世界を理解して生きているはずです。
そこで、自分以外の他人を理解できない時があります。
ただし、重要な事は、他者は他者でしかない事です。
他人は「あなた」ではなく、他人でしかないのです。
その他人に対して、ケチをつけても、それは「物」にケチをつけているのと同じなのです。
他者とは、やはり他者でしかない存在です。
世の中の常識や、自分が経験してきた態度を拒否するような態度を取ったとしても、それを覚える事が出来なくとも、他者を批判する事は出来ません。
理由は、他者とは他者でしかない世界の中しか見えないからです。
いじめを行う人間は、この他者の存在を理解していません。
他者をいじめても、答えは出ません。
それどころか、自分の世界を小さくしてしまいます。
他者に対して建設的に接する事が出来ていれば、その尽くすような接し方を自分が理解できます。
理解できれば、他人に行っている親切心を自分の為に使う事ができます。
世の中の常識は、自分が生きてゆく上での道具にすぎません。
そんな物、本当に正しいと思いますでしょうか。
そんな物は、「デリダ」的に言って、意味のない物です。
http://mahakara.blogspot.jp/2015/02/blog-post_62.html
自分に対してやさしく接する事が何より大切な事です。
決して、自分を傷つけてはいけません。
理由は、この世界は「自分」という内面から発生しているのですから、その自分を責める必要はどこにもありません。
ところが、世の中の常識や、漫画の影響で、「人間はこうあるべきだ」のような印象を真に受けてしまうと、自分を追い詰めてしまいます。
自分を追い詰めてはいけません。
あなたの世界は、誰よりも「あなた」が大切に接する必要があります。
あなたという存在を誰よりも大切にしようとするなら、他者との関係を理解する必要があります。
他者に対しては、出来る限り良く面倒をみます。
建設的に接するのです。
この建設的な態度は、そのまま「あなた」の体内構造を変化させます。
「あなた」という存在を大切にする方法を強化するのが他者です。
他者との建設的な接し方が、あなたを助ける「方法」を無意識的に構築し始めます。
自分に対して、常に「やさしい」態度で接している人間は、いじめは致しません。
他人に対して建設的に接している人間は、常に恵まれています。
尾木先生が言いますように、「人を傷つけて喜ぶ人は幸せになれない」とは、そうした理由です。
他者と建設的な接し方を行わず、逆の「傷つける」を行うのですから、同じ知識を自分の無意識に与えます。
自分は、それが「心地よい」と思い込んでいるので、自分にも、その「心地よい」を与えてしまいます。
「仕返しもしない方がいいよ」と言っていますがその通りです。
「仕返し」をする理由がないのです。
理由は「自分」ではなく、まったくの他者だからです。
他者は他者でしかないのです。
その他者に文句を言っても、それは「天」に向かって唾を吐くようなものです。
自分に唾が返ってくるだけで、意味がありません。
しかし、世の中の常識である「仕返しすると気持ちが晴れる」と思い込んでいるので、そのように肉体構造が動き始めてしまうのです。
他人に建設的であり、何より自分に対してやさしく接し続けていれば、「心」の目がある時、びっくりするほど「クリア」になります。
そして体調が良くなります。
つまり、体内構造が本当に変化し始めるのです。
大勢の方が「自分」に対して厳しく、他人に対しても同様の態度でいるはずです。
自分にやさしく、他人に対して建設的でいてください。
どう考えても「いじめ」は無くなります。
世の中の常識に対して自分を苦しめないでください。
他人が自分を追いつけにかけてくるのであるのなら、助けを求めてください。
その他人の視野は狭く、本当に人形でしかないのです。
そんな所に精神を注ぎ込まないで下さい。
どうぞ、一段階アップした人格者でいて下さい。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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