こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「日記カテゴリー」にて投稿します。
気がつけば年も明け、普通であれば神社にでもお参りに行けばよいのですが、人ごみと「変な念」の渦が嫌いで、今年は初めて、どこの神社にも参拝には行きませんでした。
(ただし、昨年末にまとめてお参りを済ませております。)
このブログを開始して2年が経過しました。
当初のブログ開始時の心境ですが、今の状態よりも「気が病んでいる」状態でした。
元々、私は「うぬぼれ」の部分があり、自分が知っている「知識」という道具は、この世界に対して有効で、うまくゆくはずだと思い込んでいました。
そして、その「知識」を元に、とにかく敵がいれば、とことん戦ってやる意気込みでいました。
そして、「心理学」や「精神世界」の知識すら武器とするようになりました。
それは私にとって「救い」でありましたし、有効な手段であると思っていました。
こうした出来事を振り返りますと、私には常に「不安」が渦巻いていました。
この不安を巻き起こす出来事は、常に自分の周りからもたされるもので、その為の対策を常に考えて生きてきました。
その都度、どうしても理解できない事がありました。
何故にこれほど、私には「敵」が現れるのであろうかと感じていたことです。
とにかく、常軌を逸した感覚ばかりを感じる人達に出会いました。
その方達と話すと、その方達の世界に入り込みます。
出来れば、近寄りたくはないのですが、そうせざるを得ません。
そんな折、最大の大敵が解りました。
「不安」です。
自己啓発関係の書籍では「不安」が良くないと説明していますが、真にこれこそ本当の大敵である事を理解しました。
多少の不安があったほうが人生に役立つなど思っていた部分がありましたが、そんな事はありません。
「不安」なんて、無い方が良いのです。
私は哲学を勉強して、アラン哲学を学びました。
私はその中で、究極的には、人間の「心」が全てであると理解しました。
どんなに神を信じる人間も、論理的な科学を信奉する人間も、共産主義者も慈善団体の方々も、つまりどんな人間も「心」を持っています。
そして、その「心」の中では、それぞれの「世界」が作られています。
それぞれの「世界」はその方が理解している世界で、その理解している世界は「心」の中では普遍的なのです。
だから、「神」が実在すると言う人間の「心」には確実に「神」が実在しているのです。
それを批判する事は出来ないのです。
現実に、その方の「心」には実在している「世界」なのです。
バカバカしく聞こえる内容ですが、私はこの哲学を真実と理解しています。
「心」の中では、いずれも真実になるのです。
ただし問題なのは、「世界」が明示されていても、そこに「良く生きる為の知恵」が突出していなければなりません。
ただ漠然と「世界」が明示されているだけでは、ビデオで映像を流しているだけと同じです。
さて、あらゆる人間が毛嫌いする気分に「不安」が上げられるはずです。
「不安」だから、この不安を取り除く行為に専念します。
それは受験戦争であり就職活動かもしれませんし、ともすれば殺人事件も発生するかもしれません。
私は、人間の「心」に写し出される「世界」がただ、漠然と映像を流し続けるかぎりにおいて、この「不安」に対処する事は出来ないと感じています。
自己啓発関係の書籍で言われている事ですが、「楽しかった時の事を思い出す」事が、やはり有効です。
常に楽しかった時の事を想像します。思い出します。理解します。
間違いなく、自分が変わって行きます。
私達の「心」の世界こそ、現実なのです。
その「現実」の世界に、常に楽しかった時の事を想像して、思い出して、理解していれば、その「世界」が作り出されます。
私達の「心」の世界は、漠然と映像を流し続けるかぎりにおいては無意味なのです。
最も大切な事は、その「世界」を「良く生きる為の場所」として映像化する事です。
良く生きる為に必要な事は何かと振り返った時、それは「不安」を排除する事です。
とにかく、不安を排除する事を習慣化する事です。
そして同時に、常に楽しかった時の事を想像して、思い出して、理解する事です。
私達の「心」が、その映像化されれば、まったく変化した自分を体感します。
アランが言う通り、「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」と言う言葉は、ここに当てはまります。
受身の世界を体感して、その世界の常識(ディノテーション)を受け入れている限り、その世界の視野しか持てません。
能動的に、自分の「心」にある「不安」を取り去る訓練を習慣づけ、ニーチェが言うように「今を生きる」事を理解して、常に楽しかった時の事を想像して、思い出して、理解していれば、本当に視野が変わった事を理解できる「世界」が作り出されます。
私が理解した最大の敵は「不安」でした。
この「不安」が様々な困難を用意し始めるのです。
「不安」に対する目的が現実に用意されるのです。
多少の不安もあってはなりません。
見つけたら排除するようにします。
そして常に楽しかった時の事を想像して、思い出して、理解する気持ちを導入します。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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