「寿」は人の数ほどに形があります。



こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。


さて、私の本年度の「スタンス」は「より理性」です。

「知識」よりも「人間の誠実さ」です。

そして、人間の本性に「寿」があるのなら、それは多種の「寿」が存在することでしょう。

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これは「初夢」ではありませんが、朝に起きようとした時に、私の体を包み込む「特殊」な感覚を覚えました。

自分でもよく解らないのですが「ウェスト・スロー」と呼んでいました。


これは何かと言いますと、どうも私達には「私達」を包み込んでいる「実体」があるようです。

学校へ毎日、欠かさず行く子供は、毎朝「学校の時間」になると「その時間」に起きます。

働いている人も同じで、習慣が「実体化」して「私達」にこびり付いています。

ただ、その「実体化した習慣」には「悲しい出来事」や「上の人には逆らえない」などの「本来の自己とは矛盾する生活環境」を含んでいるものです。

リミッティング・ビリーフ


この「信念を停止させるもの」としての「リミッティング・ビリーフ」が、誰にでも隠れています。それ故に、自分で何かを解決したくても、何故か解決に至らないのです。

私は、このような「人間の心理作用」がある為に、安易に「引き寄せの法則」という言葉を使う事がありません。

たぶん、私もブログ内で拒絶していると思います。

人間が「より良く生きる」という事が、「引き寄せの法則」という言葉だけで解決するはずがないのです。

「ウェスト・スロー」を外す


「ウェスト・スロー」は、完全な私の言葉で、眠りから覚めた時、何故そのように言ったのかは解りません。ただ、すぐに手帳に書き留めた言葉です。

この「ウェスト・スロー」は、私達の体を包むこむように存在しています。それは「知識」によって成り立っています。

私達がこれまで経験してきた「経験」や「思想」が「知識体」として取り囲んでいる感覚でした。

たぶん、この「包み込む実体」は誰にでもあると思います。


どう言う訳か、この年末の連休中に「ウェスト・スロー」を取り外していました。ただ、そろそろ休みも終わるからと思った時に、この「ウェスト・スロー」が包み込むように私の一部になったのです。

その瞬間、とても辛い気分になったのです。

しかし、この「ウェスト・スロー」をまとっていれば、今までの毎日を過ごす事ができます。

しかし、私は「それ」を抑えるようにしています。


少しでも「辛い気持ち」がよぎるのであれば、毎日を「幸せ」に考えて誠実に積極的に生きる事が、人間として大切である事を、この時に理解しました。



さて、東京国立博物館に展示されていまして、私の心を動かされた物をご紹介させてください。



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本日2日に足を運ばせて頂きました。

まさに「ドンピシャ」で、この掛け軸が目に映りました。

ここには「万人」が「寿」で表されている気分になりました。

しかも、その「万人」は「拒絶」するような存在がありません。

すべて「寿」なのです。

また、人の「歩む道」は「寿」という形が、それぞれに姿を変えて存在しているのです。


私達の精神を取り締まっている「リミッティング・ビリーフ」が「寿」であるはずがありません。

私の今年に目指す方向が見えたのです。


全ての場面に「寿」を見つける。

多種多様である「寿」を理解する。


それでも、私に向かって自分自身が「知恵」や「知識」や「経験」として実体験、実体を投げかけて「ウェスト・スロー」を行うのであれば、その時に「多種多様の寿」を思い返しましょう。

どんな時であっても、「多種多様の寿」があります。

だから「誠実」に向き合って「積極的」に現実に目を向ける事を心がけます。


もしかしたら、初夢をみていたのかなぁ。

ただ、この「テーマ」は非常に大切な事だと感じています。


つまりは「より良く生きる」という哲学の基本です。


今回は以上にしたいと思います
 
最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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