こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「輪廻」について投稿しようと思います。
「輪廻」と言いますと、幾重にも続く「生命」の生まれ変わりを想像します。
それは終わりなき、広大な旅でしょう。
仏教でもテーマに上がる思想です。
ただ、本来の「輪廻」とは何であったのでしょうか。 ●我慢してでも守らなければならない ●親の言う事には、全て従わなければならない ●先生の言う事は正しい ●自分本位では生きてはならない これが「輪廻」なのです。
現実主義的な仏教では、お釈迦様が「輪廻」をどのように扱っていたのでしょうか。
基本的には「輪廻」は悪い場所を意味していたようです。
だから、嫌な場所であり、悪い場所には戻りたくないので、仏教では「輪廻」を止めようとするのです。
悪い場所とは、悪い環境です。けして「生まれ変わる」を意味しません。
その嫌な場所に、我々があると言う事です。
これは、現在の私の「生きる目標」でもあるのですが、「苦しみ」を「美化」しない事を目標にしています。
日本人が得意な思考です。
でも、視野がまったく間違っています。
もし、「悪い環境に自分がある」と解るのであれば、逃げるべきです。
しかし、私の内には「様々な苦しみ」が「美化」をして、私の「歩み」を止めようと企んでいます。
その声に耳を傾けますと、それは「正義」とも聞こえてくるのです。
無理をしてでも正義を行う事が美しいと思っている
まったく間違った思想を、子供の頃から大切にしてきました。
●「無理」をしてでもやらなければならない
こうした「教訓」は、不思議なくらい言葉として表す事ができます。
ただ、今を生きる私にとって見ると、その多くは「私の動きを制限している言葉」なのです。
これは「私」だけの問題ではありません。
ほとんどの方々は、「自分を制限する生き方」に歩みを止められる傾向があります。
「輪廻」からの逃避
私は、この「悪い場所」である「輪廻」から逃れる事を目標にしています。
この悪い場所である「輪廻」には、いくらでも堕ちてゆき、その都度「回避」を考えます。
ところが、同じような「悪循環」に陥ります。
それは、抜け出す事ができない「悪い場所」だからです。
困った事は、そうした現実を「正義」であると思い込んでいる時です。
だから、私は「輪廻」からの逃避を目標にしているのです。
「輪廻」から逃避を行う事は、まったく恥ずかしい事ではありません。
逆に、毎日を「ストレスなし」に生きる事に視点を変えると言う事なのです。
これをかっこよく言えば「解脱」です。
「輪廻」という、自分を苦しめる環境から抜け出すには、自分の視点を変える事です。
視点は、解るはずです。
自分がストレスを抱えている「正義」という言葉です。
ストレスのかかる「正義」ではなくて、「幸せと喜び」である「正義」にシフトします。
これが「解脱」でしょう。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
0 件のコメント :
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。