「神道指令」と言うGHQの指示

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

本日は「プチ神事カテゴリー」にて投稿します。

 

昨日、食中毒から数日経過して、足取りはフラフラと会社の階段を上っていると、突然カラスが手すりの所にやってきました。

 

「お、かっこいいカラスだね」と見ていると、カラスの方も「この人、何だ」と思ったらしく、「ガー」と呼ばれました。

 

すぐに私も「ガー」と呼び返しますと、カラスが不思議そうな顔をしていました。

 

あぁ、自分に関心を寄せてくれるのはカラスだけなのかと思いにふけていました。

カラスも逃げないで、フフーンという感じで接してくれましたので、動物は心を和ましてくれて、有り難いと再確認した日でした。

 

さて、今から半世紀前、日本は第二次世界大戦に敗れてしまいました。

神道を保護する神の国の日本が、敗れてしまいました。

 

ただ、本来の日本にあった神道というのは教義はないし、教祖もいない。ただ、「御霊」を祭るというスタイルでした。

 

ところが、仏教が伝来したことで、とりあえず「形」という事で神に「道」という言葉をつけて「神道」と呼ぶようになりました。

 

そんな「神道」が江戸時代末期頃には、どういう訳か、形式主義的な構造を持ち始めて、それに組み込まれてもおかしくないような物が出来上がり始めます。

 

そして明治政府は「王政復古」により、神道を国家の支えとして天皇絶対主義のような風潮を作り出す形式を見事に作り上げました。

 

昭和に入り、その流れを不安視する人は多くはなかったでしょう。

 

ところで、天皇絶対主義という言葉を嫌う人は、間違いなく大勢いる事でしょう。

この在り方が、人間を閉じ込めて、日本を破滅に追い込み、今もなお、その権威を振るっていると思っている方々は多い事でしょう。

 

逆に、天皇絶対主義こそ、本来の日本の在り方であり、当然であると感じられる方々も多いはずです。

 

ただ、江戸時代を振り返りますと、徳川が政権者であります。天皇ではありません。

だから、今の時代は、ただ元に戻っていると見ればいい事でしょう。

 

天皇絶対主義になった理由は、天皇が天照神の子孫であり、全ての神を統治するトップと見られたからです。

それは、理由としては致し方ない事です。

 

問題を上げるならば、「国家神道」と呼ばれた物です。

 

日本で語られていた言葉ではないのですが、日本の国家の管轄で神道が保護されて運営されていました。

 

日本の体を成す存在ですので、それは当たり前ですが、国家体となって運営されるものとは、私は関心しません。

 

神道とは、もっと純粋な、国家に縛られるものではないと感じます。

そんな形式的な堅物に納めてる物ではないと感じます。

 

器の中に入れてしまえば、それは器の中でした生きる事が出来なくなります。

神道とは、そんな物ではあるはずがありません。

 

しかも、そんな大切な神道を国家に預けてしまったら、間違いなく不潔な存在になります。

国家とは、そう言う存在です。

 

 

戦後、GHQの指示により、国家から神道を切り離す指令が出ます。

それが一般的に「神道指令」と呼ばれるものです。

 

そして、全国の神社を統括する組織として「神社庁」が設けられました。

「神社庁」は民間団体が合体して成立した宗教法人でした。

 

 

「神道指令」により、国家から神道が取り除かれて、現在のような雰囲気に至っています。

 

ここにおいては、天皇絶対主義もありません。

天皇を尊ぶ方々が、普通に接すれば良い環境になりました。

 

明治政府の政策は、天皇を利用したのです。その日本人のアイデンティを利用したのです。

それが普通になってしまえば、もはや疑う所はなく、そうした国なんだなと思い込んでしまいます。

 

私は、国家から神道が離れて良かったと感じています。

だから、私にカラスが「ガー」と呼んでくれるのです。

 

いや、カラスだけではなくて、公園では猫が「ニャー」と呼びかけてくれました。

たぶん、「お前、大丈夫かよ」と言っていたと感じるのですが、そう感じるのは、私が神道を少し理解しているからかもしれません。

 

それが国家であるという事実を、私は想定できません。

しかし、かつては日本は、神の国であったのです。

 

それが元に戻る指示が、GHQの「神道指令」と呼ばれるものでした。

 

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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