こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日は「哲学カテゴリー」にて投稿します。
いやー、今月に入ってから忙しい日々が続いていまして、ふと気づいたら3月14日になっていました。
自分勝手に日常を目まぐるしく送っているので、日々のストレスも隠せません。
そんな折、食中毒に当たってしまい、もう動く気がしません。
体温は下がってゆき、まさに「ハイデガー」が言うように、面前に「死」を感じるのです。
これは厳しいのであります。
「ハイデガー」は死の哲学者と呼ばれています。
その理由は、「死」という現実を直視した時に、人間は「生」を理解して受け入れられるからです。
いわゆる、超当たり前の言動ですが、なかなかこの状況にならないのが人間です。
どうしても、日本では自殺者の数が多い傾向にあります。
自殺ですから「死んでしまう」のですが、死んでしまうと「生」を理解する事が出来なくなります。
この「生」ですが、「生」を直視する為には「今」を生きなければなりません。
ハイデガーは、超当たり前の言動として、このように捉えています。
何故に「今」を直視する必要があるかと言いますと、「過去」の経験では「今」を見つめられないのです。
「過去」は「過去」でしかなく、「過去」よりも新鮮な「現実」を体感するには、「今」を見つめて生きるしかないのです。
また、「未来」も「過去」と同様で、「未来」に視野を送り込んでも、明確で新鮮な「今」にはかないません。
だから、「今」を見つめて生きる事が「生」を生きる事でして、その際に「死」を理解する事で、さらに「生」への理解が強くなるわけです。
このポイントは大切な所です。
日本で自殺者が多いですが、「今」を見つめて「生」を生きていないから死んでしまうのです。
私は絶対とは言い切れませんが、「確定した世界観」を持って生きている人が大勢いる事に、少し疑念を持っています。
私達が学校で習い、家庭で習い、そして社会に出て学んできた常識があるとします。
しかしそれは、永続的に活用できるものではありません。
過去の産物は、「今」の産物にはなり得ないのです。
「確定した世界観」という常識が正しいと思い込んでいる方々というのは、「今」に生きているのではなく、それを学んだ「過去」に生きているのです。
そうしますと、「生」とは「今」を生きる事ですから、「過去」に生きる方々とは、「生きる事」が出来ないと言う事になります。
同様に「未来」に期待を寄せて生きている方々も同じです。
「未来」は不確定要因の多い世界ですので、そこに寄りかかれば、倒れてしまいます。
つまり「今」を生きていないので、「生」を生きる事が出来ません。
「生」とは「今」を生きる事です。
過ぎ去った過去の情報に心を囚われていてはいけません。
確定しない未来に期待をよせてはいけません。
あくまで「生」が必要とするのは「今」であり、「死」を理解して「生」を輝かせる事です。
この考え方は重要だと思います。
自殺者の多くは「何」に殺されているでしょう。
それは「過去」と「未来」に殺されてはいないでしょうか。
死に至る理由は、「生」が無いからです。
しかし、多くの方々は「生」の見えない「過去に学んだ教訓」を守り続けます。
その善悪を確かめないで、使い続けます。
その結果、最も大切にしなければならない「自己」を滅してしまいます。
いやー、そうした世の中は嫌ですね。
私は確定された信念に閉じこもっている不潔さが嫌です。
しかし、まだ多くの日本人が、この不潔さを真実として扱っている事でしょう。
今日は、もう体力がありません。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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