こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
投稿ができない日々が続いております。
それでも、1日に何人かの方が見てくれます。
感謝です。
さて、今回は「思想カテゴリー」にて「内山完造」について投稿したいと思います。
誰?と思う方が多いと思います。
この方は伝説の本屋、内山書店の店長さんです。
photo credit: isotgiu via photopin cc
勝手に伝説の本屋と語ってしまいましたが、あまり知られていない事でしょう。
内山完造さんは、写真の右側に写っている方です。
ちなみに、左側は「魯迅」です。
魯迅ですよ。
詳しくは1917年に、内山完造さんは「上海」にて本屋さんを開業しました。
この当時の「上海」は異様な都市でありました。
「上海租界」と呼ばれるのですが、外国人居留地の事です。
アメリカ、イギリス、フランス、日本が「上海」を4分割しているのです。
そして、分割されている境界線を越えれば、「他国」に移動した事になる、そんな状況でした。
そんな場所へ内山完造さんは「本屋さん」を作りに行きます。
さて、本屋さんを作ってみたは良いが、内山完造さんは人柄が良く、立ち読みOKで、本の代金を無理やり請求す事も無かったそうです。
そんな折、この時代の中国は荒れていました。(いや世界が荒れていたか。)
当時の中国では「国民党」と「共産党」がありましたが、国民党が優勢でした。
そうなりますと、「共産党」の方々、もしくは左翼系の方々は逃げる必要があります。
安全な所として思いつくのが、この「上海租界」と呼ばれる所です。
ここは中国ではなく、外国扱いになるからです。
もちろん、内山完造さんの本屋さんにも「共産党」の方々が来ていたらしい。
立ち読みOK程度なら良いのですが、何故か本屋さん2Fを「会議」に使ったり、かくまったりしていたらしいです。
そんな時、魯迅がやってくるようになりました。
内山完造さんの本屋さん一角に、何故か椅子が用意されるようになります。
魯迅が本を読んだりする為だったようです。
人が良すぎます。
内山完造さんが「本屋さん」を作った結果は、利益は考えないとして、大変に大きな事でした。(逃げてきた人達にとってです。)
相当ですが、内山完造さんは信頼されます。
戦後には、日中友好の関係に尽力をつくします。
もう、本屋さんの規模を超えています。
これは合っているか、絶対的な話か解りませんが、中国で毛沢東が亡くなった際に、日本人として唯一、葬儀に呼ばれたのが内山完造さんだったらしいです。
それほど、頼りにされた人物であり、頼った人に尽くしたからでしょう。
(逃げてきた人達ですよ。)
内山完造さんについても、多くのサイトで詳細が載っているので、興味がありましたら調べて見て下さい。
現在、この「内田書店」の跡地は銀行か郵便局になったという話を聞いた事があります。さだかではありませんが。
ちなみに、「内田書店」は東京は神田にて営業中です。
私が「哲学カテゴリー」にて 「私の記憶にある文化」 という投稿でも語っているのですが、異文化の人間が、そうやすやすと仲良くはなれません。
内山完造さんや魯迅さん、逃げてきた方々が素敵なのは、各々が持っている思想を侵害することなく、尊重して信頼しあう事ができる人間性です。
本当に嫌な事ですが、私はどうしても、内山完造さんのような方々に囲まれた事がなく、必ず自分たちのエゴや主張が正しいとする人間に出くわします。
相手を想う、相手を立たせる事が出来ないのです。
つまり、結局は意識してしなくとも、潰す事に結びつくのです。
どうか、内山完造さんのような「友好」の精神を持った人物になりたいですし、少しでも、こうした人物達がいた事を伝えられたらと思います。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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