私が思う「天津祝詞」について ②

 

こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。

前回の続きで、「天津祝詞」について投稿しようと思います。

 私が何故に、「天津祝詞」をお勧めするかについてです。

 

私は「天照大御神」が好きではありませんでした。何か、如何わしい物を感じていたからです。

そんな私は昔、東京のお伊勢さまと呼ばれる「東京大神宮」へ行ってみようと思いました。

その理由は、「天照大御神」とは何であるのかを知りたかったからでした。

 

ところがです。道に迷って目的地に着くことが出来ませんでした。

 

日を改め、意を決して再び「東京大神宮」へ向かいました。

 

そんな理由で、神社について、その雰囲気を感じました。

あくまで、私の個人的な心に感じた出来事です。

 

その時によぎった感覚は、「多種の人種の集まり」であった事です。

 

「多種」と言いましても、日本人なのです。しかし、その日本人が日本人に見えないと言いますか、感じなかったのです。

「中東」であったり、「東アジア」であったり、そんな感覚を覚えたのです。

 

そして、このように「多種」の方々を統治されるのが「天照大御神」のお仕事であるのかと思いました。いや、そのように聞こえた気が致しました。

 

私は「お守り」を購入させて頂き、その後ですが2回ほど、この「東京大神宮」へご参拝をさせて頂きました。

 

ところがです。その後に私に様々な出来事が降りかかりました。それはヒステリックと言いたい出来事が降りかかりました。

 

私は、「お守り」を封印するかのように「袋」に入れたまま、バッグの中に入れて目に付く所に置きませんでした。

 

私には、縁がない!

 

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photo credit: Alex E. Proimos via photopin cc

 

そう感じたからです。

 

それから月日は流れ、私は「平田 篤胤(ひらた あつたね)」という人物を知る事となります。

この方は、幕末思想の先駆けの人物であり、「国学」を成立させる力となった方です。かなり、「変」な所のある方であったようですが。

この人は、何故か「 将門(たいら の まさかど)」が大好きでした。

将門の人形を作って、「花見」に連れて行ったりしていたようです。

この人形は、神田明神のお祭りがある時期に、見ることができます。

 

さて、そんな「平田 篤胤」ですが、この方が、「天津祝詞」をこの世に出します。

より所の「祝詞」を研究して、コンパクトに要点をまとめた「祝詞」でした。

 

ところがです、平田 篤胤は 将門が大好きです。

将門は朝廷にケンカを売って関東を支配した方です。

そこで、矛盾を感じるのです。

(平田 篤胤であったから、こうした行動ができたのでしょうが。)

 

私はきっと、平田 篤胤を知らなければ、「天津祝詞」を覚えようとはしなかったでしょう。

神田明神には「 将門」が祭られていますが、そこにある「 将門」人形は、平田 篤胤が作ったものです。

平田 篤胤は「天津祝詞」を世に出した方です。

 

私は、「天津祝詞」に対する見方が変わりました。

 

「天津祝詞」のあり方は、私が認識していた「天皇」に直結する事ではない気がし始めるのです。

それは、前回の「私が思う「天津祝詞」について ①」で投稿した内容です。

 

月日は流れ、バッグの中から携帯電話を取ろうとすると、昔にしまい込んだ「袋」が出て来ました。その「袋」の中は、「東京大神宮」で購入した「お守り」でした。

「まだ、捨ててなかったなぁ」と思ってバッグの中(奥)にしまいました。

しかし、またバッグを開けると、その「袋」が出ているのです。

 

その時に思いました。

何かのご縁がめぐっている事をです。

 

「天津祝詞」には、日本の「伊耶那岐命」のお話、そして「天津神」、そして「国津神」、「八百万の神様」が登場します。

その神々に願う事は、「罪穢れ」を払う為にです。

罪穢れ」とは、あなたの「神性」をふさぎ込んでいる物です。

 

過去から続く想いですが、日本の国土を、平和を願う想いは、この地に訪れた「皇族」、それ以前から治めてきた「土着の王」も共通です。

その想いが、「天津祝詞」に現れていると思います。

 

この日本国土の中にあり、生きる人々がうまく共立の下にある事が望ましい事です。

そのお役目が、現在は「天照大御神」であるのでしょう。

(あくまで、これは私が「東京大神宮」で感じた事です。)

 

この「良き日本」をあろうとする「天」の力が、「天津祝詞」には詰まっています。

 

私が望むスタイルは、決して、局地的な宗教儀式に偏ることではりません。

「開運」や「運気向上」という「占い」に陥ることでもありません。

まさに純粋に、あなたの「神性」を現す事です。

あなたの「神性」は、罪穢れを取り除いた、日本国土の先祖代々受け継がれている

あなた自身の「心」を理解して、行動できる人間である事だと思います。

 

「天津祝詞」は、客観的にあなたの「力」として身に着けるにふさわしい。

 

次回は、簡素ではありますが「天津祝詞」について私が思う所をまとめたいと思います。

 

今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。