こんにちは。本日も私のブログをご覧いただき有難うございます。
本日はキルケゴールの言葉「死にいたる病」について投稿しようと思います。
この「死にいたる病」という言葉は聞いた事のある方が多いと思います。
新世紀エヴァンゲリオンの16話です。「死に至る病、そして」という題名でした。
ようするに、何となくカッコいい題名というか、響きがあります。
さて、キルケゴールです。
photo credit: ThomasThomas via photopin cc
19世紀の哲学者です。
正直、あまり好きな哲学者ではありません。
実は、ずっと前に投稿しようとして書いた下書きがあったのですが、好きな哲学者ではなし、面白そうでないので破棄してしまいました。
ところが、やはり「死にいたる病」という題名がカッコいい。
それだけなのです。(*゜▽゜)
この「死にいたる病」ですが、キルケゴールが絶望の果てに知りえた事です。
要するに、絶望が「死にいたる病」になるのです。
そして、人間は不安や絶望が降りかかると、ある心理に行き着く。
つまりです。
結局、絶望の果ては神様に対する信仰しかない!
あなたなら、どう思いますか。
キルケゴールの関連本に目を通せば、それは詳しく書かれています。
例えば、当時の情勢では、大哲学者であるヘーゲルの考えが主流でありました。
(このヘーゲルも曲者で、結局は私も良くはわかりません。)
キルケゴールに注目が集まるのは、彼が展開するこの「自己的」(突っ込みは簡便です。)な思想は、彼が生きた時代である近代思想から外れているのです。
近代思想によって、工業が盛んになりましたし、神様からの呪縛もとかれて、人間が人間の尊厳を持って生きてゆく時代に対して、つまり「変」なのです。
キルケゴールの中では、キルケゴール世界は、キルケゴールの意識の中にある。
いわゆる、科学的な見方ではないですよね。
しかし、それが評価されています。
彼の考察が「実存主義」であると見られています。
以下に、キルケゴールについて書かれています。
私が感じる悔しい所は、何故に「神」を尊ぶのかと言う事です。
ニーチェは「神」を殺したのです。その生涯をかけてです。
「神」の存在が、人間の自立を疎外している事に気が付いたからです。
他にも、近代で「神」を封鎖しようとする哲学者は、キルケゴール以前にいました。
いや、ずっと以前からです。
しかし、結果としては、キルケゴールの存在が口火となり、人間の尊厳を獲得する思想が花開いてゆきます。
キルケゴールを基点として、今の人間観があると言っても良いかもしれません。
そう考えると、「死にいたる病」という題名も価値ある存在として評価されるべきでしょう。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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